Ken Yokoyamaが問う、今音楽に向かう理由 「俺は何に興奮して、創作に取り掛かれるのか」

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 Ken Yokoyamaがニューアルバム『Sentimental Trash』を9月2日にリリースした。『Mステ』に出演して初の地上波生演奏を果たすなど、メディアでの存在感も高まるなか、横山健が今作に込めた思いとは何か? 今回のインタビューで聞き手を務めるのは、横山健が代表を務めるPIZZA OF DEATHで10年以上にわたって宣伝制作を担当し、現在はフリーランスで活躍する阿刀”DA”大志氏。横山健の傍らで制作を見続けてきた同氏が、今作のサウンド変化の背景にあるものや、現在の創作スタンスに切り込んだ。(編集部)

「世界が広がっていることをエンジョイしてる自分もいる」

ーー今さらですけど、ミュージックステーション(以下、Mステ)出演の話から聞かせてください。とは言っても、コラムで書いたことが全てですよね?

Ken Yokoyama:まあね。でも、あれは出演直後に書いたものだし、自分の感情もたくさん入れたけど、基本的には事実の羅列だからね。

ーーあの文章、めちゃめちゃ気を使ったんじゃないですか?

Ken Yokoyama:人を傷つけないように書きたかったからそういった意味では気を使ったけど、それぐらいかな。俺、出演10日前ぐらいまで他の出演者を知らなかったわけよ。そのずっと前から「出させてください」っていうオファーを始めてたんだけど、出してもらう以上どんな人と共演することになるかは分からないじゃない? だから、そこで「こいつと一緒に出るのだけは嫌だ」とか、そういう意識は持っちゃいけないと思ったの。そうすると、自分が過去に吐いたツバを飲まなきゃいけなかったのよ。俺、前まではアイドルだとか、アニメソングだとか、そういった音楽がチャートを占領してるのが「嘆かわしい」と思ってたの。でも、嘆かわしいじゃねぇんだと。そういう人たちが現にウケてるわけだし、自分らの力不足なんだっていう風に思考を切り替えなきゃいけなかったの。だから、コラムの話に戻ると、あの文章はそういうマインドで書けた。

ーーそのマインドに切り替えるのは横山さんにとって大変な苦労だったんじゃ?

Ken Yokoyama:いや、そんなことなかったよ。もちろん認めることも大変だけれども、それよりも「テレビに出させてもらいたい」って思うまでが自分の中では大変だった。

ーー具体的には?

Ken Yokoyama:俺は「ロックバンドがテレビに出るのは格好悪い」っていう風にしちゃった張本人なわけじゃない? 俺、今でも覚えてんだけど、どこかの媒体で「横山がテレビに出たら“諦めた”と思ってくれ」って言ったの。……それで、諦めたわけさ。このままじゃロックには何の発展性もないなと。「嘆かわしい」と言ってるまま進んでいっちゃうなと。今までは自分たちの城を作って、その中で人口を増やそうとするすごく小さな作業をしていたことに改めて気が付いた。井の中の蛙じゃないけど、そこから出て行かないとなって。『FOUR』(2010年3月リリース)を出した頃からそう思ってた。

ーー『FOUR』のプロモーションにあたって、民放の某音楽番組に出る動きがあったこと覚えてます?

Ken Yokoyama:ああ、あの頃は番組のセットの前で演奏する自分に割り切りがつかなかった。結局、まだ積極的には動けてなかったよね。

ーーあの時の心境はどういったものだったんですか?

Ken Yokoyama:そこまで自分の気持ちが切迫してなかったんじゃない? でも、あれから5年が経って、ライブやフェスに人が入ってるのは分かってるし、KEN BANDも幸いお客さんには恵まれてるよ。でも、果たしてこのままでいいのかなと。ロックそのものが小さくなってる時代に、自分だけが生き残れたらいいのか?そうじゃないだろと。もう一回ロックがフォーカスされるような動きをして、ロックそのものを大きくしてから自分もそこから精神的に利益を得るべきなんじゃないかと。本当はね、若いバンドが新しい才能でライブハウスから出てきてセレブになるのが一番強いのよ。でも、なかなかいないんだよね。だから、「いつまでも出てこねぇなあ」ってそれを見てるだけじゃなくて、自分にできる可能性があるんだったらやりたいっていう風に思ってきた。

ーーテレビに出たいと思うようになったのは震災の影響も大きいそうですね。

Ken Yokoyama:震災以降、いろんなミュージシャンたちと舞台を共にする中で、「震災前に持ってたこだわりってチンケだったな」って思い始めた自分がいて。前は、「あいつらはああだから一緒にやりたくない」とか、「あのバンドは俺らとは違うもんだから」とか、そういった意識があったわけよ。それがものの見事に変えられた。どんどんネットワークが広がって、舞台を共にする仲間が増えたことがすごく楽しかった。それで、そういう人たちが今まで俺らがやってこなかったことをやってるのを見てるうちに、自分もそっちのフィールドに行ってみたくなるのは自然なことでさ。そんな風にして繋がっていったのはあると思う。

ーーMステの共演者のことを簡単に認めることができるようになったのには、そういう理由もあったんですね。

Ken Yokoyama:でも、会って初めて分かる部分は多いね。番組の放送後に、三代目 J Soul BrothersもNMB48も挨拶に来てくれたのね。そこで初めて心が溶けた。「結局、人なんだな」って思わされた。震災前までは、音楽のジャンルとかどこのシーンに属してるかとか、そういうことで分けてたところが自分の中にすごくあったから。

ーーそもそもパンクというジャンル自体がそういうものに対して敵意むき出しなところがありますもんね。

Ken Yokoyama:そういうのがあってナンボみたいなね。それが結局自分たちの首を絞めていくんだけどさ。俺たちも世間一般で言ったら意外と強く自分たちの首を絞めていたほうで。格好のつけ方にしても、発信の仕方にしても無意識のうちに相当制限してたと思う。「あいつらは俺らとは違うから、同じステージに立っちゃだめなんだ」みたいな気難しい思考回路があったよね……まだ残ってるのかもしれないけど。

ーー完全には溶けきってないでしょうね。

Ken Yokoyama:恐らくね。気質が元々そうだから。でも、そうやって世界が広がっていることをエンジョイしてる自分もいる。なんかね、当たり前のことなんだけど、いろいろなシーンでいろいろな生き方をしてる人たちと場を共にするってことはすごく楽しいことで(笑)。”(猛爆)”って感じなんだけど(笑)。繰り返しになっちゃうけど、震災前はそうな風に思いたくても思えなかったんだよね。だから、自分自身が変わったんだと思う。だから今、震災によって溶かされた心のままに、今までやってこなかったことに挑戦するのがものすごく楽しくて充実してる。

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