妄想から日常へ向かう吉澤嘉代子 日本の歌謡曲/ポップスの歴史に連なる『東京絶景』を聴く

吉澤嘉代子の「日常の絶景」を綴る『東京絶景』

 シンガーソングライター・吉澤嘉代子の2ndアルバム『東京絶景』は、彼女のキャリアにおいてターニングポイントとなるであろう重要作だ。昨年発表された1stアルバム『箒星図鑑』までの彼女は、幼少期に魔女に憧れ、魔女修行をしていたという自らの体験を基に、少女の「妄想」を曲にしていたが、新作では日々の暮らしを舞台に「日常の絶景」を綴るという作風へと変化している。

 〈箒星かかる 最初で最期の魔法 いまなら言える もうわたし 大丈夫〉という歌詞が「妄想」から「日常」という視点の変化を感じさせるオープニング曲の「movie」や、徐々に恋愛の駆け引きを覚え、少女から大人になっていく姿を描く「手品」など、楽曲の主人公は少女から吉澤の実年齢に近い20代半ばくらいに成長。曲のタイトルを最初に考えて、それから歌詞を書くという彼女らしい、「ガリ」や「ジャイアンみたい」など、思わずクスッとしてしまうようなタイトルの曲にしても、前者は仕事帰りのOLがスーパーでお寿司を買って、普段何気なく存在するものの重要性に気づく歌だったり、後者も素直になれない女性の心境を描いていたりと、やはりベースにあるのは日々の暮らし。そして、夢を持って生きる人々によってキラキラと光り、それゆえに陰影も浮かび上がる東京について歌ったラストナンバー「東京絶景」のメランコリーがとにかく絶品だ。

 彼女の歌詞は短歌や小説から強い影響を受けていて、歌詞で影響を受けたのは松本隆くらいと本人が語っているが、80年代アイドル風の「綺麗」は、松本隆が作詞、松任谷由実が呉田軽穂名義で作曲を手掛けていた時代の松田聖子を連想させる。もちろん、吉澤は自らが曲を書いているので、つまりはユーミンの作家性と松田聖子のアイドル性を兼ね備えた稀有な存在だと言っていいと思うのだが、これまでの妄想全開の歌詞世界と、そのアイドル性がゆえに、どこか音楽家としての評価は宙に浮いてしまっていたような印象がある。しかし、歌詞の変化に加え、本作ではゲストの人選にも変化があり、それによって彼女が日本の歌謡曲/ポップスの歴史に連なり、その先端にいることが確かに示されているように思う。

 これまでも作品ごとに多彩なゲストが参加していたが、本作では「東京絶景」に曽我部恵一がアコースティックギターで参加。また、ベースの伊賀航、ドラムの伊藤大地、バンジョー/ペダルスティールの高田漣という、現在細野晴臣のバックを務めるミュージシャンたちが、いくつかの曲に参加している。そもそも曽我部恵一は90年代にはっぴいえんど譲りのフォークを鳴らしたサニーデイ・サービスでデビューし、その後のくるりや中村一義、さらにはceroやYogee New Wavesへと至る、90年代以降のフォークの系譜において、重要な役割を担った存在である。そして、ここに並べたアーティストたちはそれぞれが細野に対するリスペクトを語り、昨年末に紅白歌合戦への出場を果たした星野源も、SAKEROCK時代から細野をリスペクトしていることはよく知られる話だ。

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