Hi-STANDARDの“告知なし新作リリース”はなぜ事件か? 石井恵梨子による緊急寄稿

ハイスタの精神性から読むリリースの意図

 10月4日。なんの告知もないまま、Hi-STANDARDのシングル『ANOTHER STARTING LINE』が店頭に並んでいた。

 正午を過ぎるタイミングから、次々とファンがSNSにアップするCDショップの写真。そこには青空のジャケがずらりと並び「おかえりハイスタ! 16年ぶり!」と興奮を隠し切れないPOPが写っている。半信半疑ながら慌てて店に駆け込む人々の声と、レジ前に長蛇の列があると知らせる報告の数々。「本当にハイスタの新譜が出ているぞ!」という話題は巨大なうねりとなり、この日、結果的に約5万人以上の足をCDショップに運ばせている(4日のデイリーシングルチャートは48,552枚)。5万人以上と断言できるのは、「すでに在庫切れ、何軒ハシゴしても見つからない!」との報告を多く見かけたからだ。

 「やばい知らんかった」とツイートすると、何人かの友人から返信が来た。「え、まさかアナタにも内緒だったの?」「ぶっちゃけ傷ついたでしょw」と。

 先に自己紹介しておくと、私は1997年から執筆を始めた音楽ライターで、メインはずっとパンク/ラウドシーン。長い付き合いで理解があるからと、Ken Yokoyama作品ではオフィシャル・ライターを務めさせてもらっている。PIZZA OF DEATH所属のバンドと関わることも多いし、レーベル関連の話であれば、だいたい先に情報を教えてもらい仕事で関わるのが現状だ。

 それでも、強がりではなくこう思った。「ハイスタらしいな。格好いいな」。何ひとつ傷つかなかったし、むしろ清々しい爽快感が増すばかり。なぜならメディアなんかに頼らないのが私の知っているHi-STANDARDだったから。ライブハウスのキッズだった頃も、雑誌メディアに片足突っ込み始めた学生の頃も、ライターとして自立したハタチ以降も、3人はずっと「メディアじゃなく、現場の口コミを信じる」スタンスを貫いた。2016年の今も、そこにまったくブレはない。

 Hi-STANDARDは常にDIYのバンドだった、とは今も語られる話である。ただし、自分たちでやる、のみならず、時代の流れの逆を選ぶ、という意味では常に反逆のバンドでもあった。彼らが活躍した90年代後半はCDバブル全盛期。TK(小室哲哉&小林武史)、初代V系などがタイアップを賑わせていたが、それらの華やかなメディアに背を向け、全国各地のライブハウスを回り続けることで支持層を増やしてきたのがハイスタだ。テレビの世界にはない等身大のリアリティ。鳴っているのはごくシンプルなパンクロック。「俺でもできる!」と思ったティーンエイジャーは星の数だが、実際の彼らは「普通のままで、どこまで普通じゃないことができるか」に心を砕いていたのだと思う。明るい歌詞、普段着のファッションなども、じつは「パンクはアングラで怖いもの」という昔の概念への反逆であった。

 トイズファクトリーに所属しながら、アメリカの名門パンクレーベルFat Wreck Chordsと契約すること。日本全国を回るのと同じように、軽々とアメリカやヨーロッパ全土のツアーを成功させること。いよいよセールスが伸びてきた時期に進んでメジャーを離れ、自分たちの手でレーベルを発足させたこと。すべてが前例のない話であり、結果的に自主で出したアルバム『MAKING THE ROAD』がミリオンを記録したことも、おそろしく痛快な出来事だった。その集大成が、業界のオトナを排して仲間たちだけで開催した千葉マリンスタジアムでのAIR JAM2000。それを支えた3万人のキッズにも「俺たちもこのシーンの仲間である」というプライドがあったはずである。

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