BUGY CRAXONE、“リベンジ”のQUATTRO公演で見せた「強い意志と確固たる自信」

BUGY CRAXONE、“リベンジ”QUATTRO公演

<シング シング シング ユアライフ コングラッチュレイション キス キス ハレルヤ!!>

 それはまるでハッピーになれる魔法であるかのように、すずきゆきこ(Vo)と一緒にフロアも全力で歌った。SEに合わせて、高まるフロアからのクラップに迎えられ登場したメンバーが、軽快なリズムを受け継ぎながらはじまったのは「ハレルヤ」だった。後方まで埋まった会場を隅々まで見渡し、満面の笑みを浮かべながら歌うすずき。

 今から遡ること、約17年前ーー。

 <曖昧は嫌だ 価値が欲しい 替えのきく僕はいらない……>

 2000年2月、同会場での初ワンマンライブは真っ暗なステージで、もがくように歌う「夜明け」で始まった。個人的な話だが、私はこのときはじめて生で観たBUGY CRAXONEというバンドに、完全にやられてしまった。本人たちは当時を振り返り“辛酸をなめた”という表現を用いてはいるが、あのライブがバンドの方向性を決定づけ、いろんな意味で原動力になったことは間違いないだろう。(参考記事:BUGY CRAXONE すずきゆきこが明かす、新作での挑戦とクアトロ公演リベンジへの思い

 2017年11月19日。17年越しの渋谷CLUB QUATTRO公演『20周年ワンマン“100パーセントナイス!”』は、とても彼ららしいライブだった。20年走り続けてきたバンドに対し、この言葉が合うのかわからないが、ものすごく等身大だった。長く続けることの意味、良いことも悪いことも受け入れたありのまますべてを音で表し、フロアいっぱいの“ナイスちゃん(=ファンの総称)”たちはそれを全力で受けとめ、全力で讃えた。それをまたバンドは音で返していく……その光景がなんだか特別なものに見えた。

 「20年より、この1年がとにかく長げぇかった」この日、すずきがそう何度も口にしていたように、1年前の開催発表からこの日のために全力で駆け抜けてきた。そうした中でのメジャーレーべルへの移籍、ベストアルバム含めた2枚のアルバムリリース、なにより2000年の初ワンマンへのリベンジの意味合いが強い。

 オフィシャルYouTubeチャンネルの番組『いいかげんなTV』で「バンド歴20年のなかで、とくに印象に残っている出来事は?」の問いに対し、すずきが「クアトロやるって決めたのがいちばんかもな。あんまりそういうことをしようというのを避けてたバンドだから」と答えていたのが印象的であった。それだけこのライブに賭けてきたという表れである。

 本公演の約1カ月前の10月5日、彼らの故郷である北海道、札幌Bessie Hallで『COUNTERBLOW 030』を観た。BUGY CRAXONEの歴史の中で欠かすことのできない主催イベントであり、この節目にふさわしく、大先輩バンド・怒髪天を迎え入れての2マン。地元愛に囲まれ、クアトロワンマンに向けての壮行会のようでもあった。飴と鞭を使い分けるような東京では絶対に見られない怒髪天の愛情たっぷりのステージを受け、BUGY CRAXONEは故郷に錦を飾った。潔くアンコールをやらなかったことも、クアトロへつなげるための決意だったはずだ。

 クアトロ公演は“20周年ワンマン”と銘打った通り、オールタイムの新旧織り交ぜたセットリストだったが、なぜだか集大成という感じはしなかった。10年の歳月を並べてもまったく違和感を感じなかった今年1月リリースのベストアルバム『ミラクル』で見せた、バンドの芯の強さを目の当たりにした気分だった。過去も現在の曲もBUGY CRAXONEのものであることに間違いはないし、どちらも同じスピードでこれからへ向かっている曲ばかりだ。

 もちろん、初期曲に対する思いはある。すずきの感情とバンドサウンドが怒涛のように襲ってきた「悲しみの果て」(2002年『This is NEW SUNRISE』収録)、淡々としながらじっと希望を待つ強さ「YOUR SUNRISE」(2002年『NORTHERN HYMNS』収録)など、当時に思いを馳せてみることもあったが、それは聴き手としての感情であり、サウンド面や音楽性としてみれば、懐古なところなどはない。

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