乃木坂46 生駒里奈、卒業を決めたきっかけを明かす 「私的にも区切りがよかった」

 4月22日放送の『乃木坂工事中』(テレビ東京系)では、「生駒ちゃん卒業おめでとうSP」の模様がオンエアされた。

乃木坂46『シンクロニシティ』(TYPE-C)

 間もなく乃木坂46を卒業する生駒里奈に内緒で、メンバー全員から手紙をプレゼント。代表して、同じ1期生の若月佑美、井上小百合、高山一実、2期生を代表して堀未央奈、3期生からは与田祐希が手紙を読み上げ、キャプテンの桜井玲香が全員分の手紙を卒業文集としてプレゼントした。

 生駒はメンバーへのメッセージを話し始める。「こういう風に私のために時間を割いてくれる人と、涙を流してくれる人がいるっていうのを、教えてくれるのはメンバーで。卒業だからとかじゃなくて、今までの活動の中で、私はみんなにフォローしてもらえたからセンターができていたし、意見を変えることができなくて、暴走気味な時もありましたけど、そういう時に、みんなの存在に助けられたし、みんなに本当にフォローしてもらったり、自分を助けてもらった時がたくさんあります。このメンバーだったから、私はここまで続けてこれました。とっくの昔にやめる時だってあったと思うし、このメンバーに巡り合えて本当によかったです。人が嫌いだったけど、人を好きにさせてくれて、ありがとうございます」と涙を浮かべながら、メンバーに向けて感謝を述べた。

 MCであるバナナマン・設楽統、日村勇紀と生駒による3ショットトークでは、卒業の真相と今後の活動について語る。生駒が乃木坂46に加入したのは、高校1年生の15歳の頃。あれから7年が経ち、現在は22歳になった。日村は2011年の番組での企画「地方出身を都会に慣れさせよう」にて、渋谷で人の多さに怯えて号泣する生駒を鮮烈に覚えているという。設楽は、他局の番組で一緒になった時に、不安が大きすぎて収録後に泣いていた生駒の姿を明かす。生駒は当時を振り返り、「『どうすればいいか分からない……』が涙になっちゃう」「(いろんなことを経験できて)私的には『人間になれた』って感じです。必要最低限のことしかしないで生きてたので、人間として多彩に色が付いたというか。1色だった人間が、7色も8色もみたいな」と成長した7年間を語る。乃木坂46の顔として、デビューシングル『ぐるぐるカーテン』から『制服のマネキン』まで5作連続でセンターを務めた生駒。映画『悲しみの忘れ方 Documentary of 乃木坂46』で描かれている、6枚目『ガールズルール』で白石麻衣へとセンターが受け渡される解放から駐車場を飛び跳ねる彼女の姿に設楽が触れた。

 センターの重圧から選抜発表時の収録で過呼吸になり、スタジオで倒れたこともあった。卒業を決めたきっかけについて設楽が質問すると、「はっきりと乃木坂を卒業しようと決めたのは『太陽ノック』のツアー(『真夏の全国ツアー2015』8月31日)で、『神宮ー!』と叫んだあの日です。私的にも、区切りがよかったんですよ。センターをやって外れて、AKB48と兼任をして、戻ってきてセンターというので、自分的に『アイドルとしてやりきった』と思って、一段大きくなった乃木坂でいろんなことも見れて楽しくて、そこで次に行こうと思ってても何をするかは分からなくて、そこで舞台とかバラエティをやらせてもらって、『私たぶん舞台好きだ』とか、一段落つけたこそ見えるものがあって。別にアイドルだから、全部が完璧じゃなくてもいいと思うし、発展途上の成長過程を見せるのもアイドルのコンテンツじゃないですか。本物の役者さんと共演する中で、『どうしよう……自分、本物になりたい』と思っちゃって」と成長した姿で仕事がしたくなる興味が湧いたことを明かす。

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