ハルカトミユキ、ベストアルバムに刻んだ成長と変わらぬ軸「強くなった2人の姿を見せていきたい」

ハルカトミユキ、ベスト盤インタビュー

 ハルカトミユキが初のベストアルバム『BEST 2012-2019』を発表する。デビューからの7年の歩みの中から厳選された全32曲を「Honesty」と「Madness」というコンセプトで振り分けた2枚組に加え、初回盤はデビュー以前の初期音源も収録した3枚組となり、彼女たちの歴史が凝縮された作品となっている。ミュージシャンとしての、表現者としての、人間としての成長を刻んだ本作を、今だからこそ話せる2人の言葉とともに掘り下げることで、ハルカトミユキが体現する“肯定のストーリー”を追った。

ベストアルバムリリースのきっかけは「17才」

 もしかしたら、ハルカトミユキの活動を注視しているファンの中には、「なぜこのタイミングでベストアルバム?」と疑問を持った人もいるかもしれない。2017年に彼女たちの真骨頂とも言うべき“怒り”を明示した3rdアルバム『溜息の断面図』を発表した後、2018年は『解体新章』と銘打ったツアーを行い、積極的に新曲を披露していただけに、「今過去を振り返る必要があるのか?」と考えるのは自然なことではある。しかし、本作のリリースは必然のタイミングだったと言っていい。その鍵となったのは、昨年初のアニメ主題歌としてリリースされたシングル、ミユキ作曲のポップナンバー「17才」の存在だ。

「これまでも何度かベストの話が出たことはあったんですけど、いつも『このタイミングで出してもなあ』という気持ちだったんです。ただ、『17才』を出して、『アニメで初めて知りました』って、これまでとは違う人たちがライブに来てくれるようになったんですよ。まだまだ自分たちの音楽は届き切ってないと思うし、だったらこのタイミングで、後ろ向きな意味ではなく、再デビューくらいの気持ちでベストを出そうと思ったんです」(ハルカ)

「私も『17才』がなかったら、ベストは出してないと思います。もちろん、今までのファンの方にも聴いてほしいけど、新しいファンの方に改めて自己紹介するためのベストでもあると思っています」(ミユキ)

 過去の集積であると同時に、彼女たちにとっての新たな名刺代わりとなるベストアルバム。これまでの楽曲を改めて振り返ることは、もう一度自分たちを“解体”することに繋がり、本格的な新章をスタートさせるための通過儀礼にもなった。

「これまで自分たちの音楽を聴き直す機会って、あんまりなかったんです。楽しいときにできた曲もあれば、きついときにできた曲もあるから、そういう曲はあんまり聴きたくないし、ライブでもやらなくなるし。でも、今回意外とフラットに聴けて、どの曲も聴いてほしいと素直に思えたんです。そういう自分の変化にも気づけたし、その一方で、初期のデモ音源から一貫して変わらないものがあることにも気づけました」(ミユキ)

「『17才』で私たちのことを知ってくれて、遡って昔の曲も聴いてくれた人の中には、『この人たち、他の曲はこういう感じじゃないんだ』って思った人と、『ダークサイドもめっちゃ好き』って思った人と、両方いたんですよね。私とミユキが作る曲は全然違うし、自分たちの中に相反する側面があるのはわかってるけど、それでもずっと変わらない軸みたいなものはきっとあると思うので、このベストを通じて『この人たちが歌でやりたいことはこういうことなんだ』って伝わるといいなと思ってます」(ハルカ)

「“狂えなさ”みたいなのは、ずっと変わらずにある」(ハルカ)

 ハルカトミユキの一貫して変わることのない軸。それを確かめるために、彼女たちのこれまでを振り返ってみよう。大学の音楽サークルで出会い、Nirvanaの話題で意気投合した“違うのに、似た者同士”の2人がインディーズデビューを果たしたのは、大学卒業後間もない2012年。フォーク、パンク、あるいは短歌の影響を受け、20歳前後の若者の誰しもが感じる怒りや苛立ちを比喩的に表現し、絶望の先で希望を見出そうとするハルカの鋭利な歌詞と、オルタナティブなサウンドの組み合わせが大きな話題を呼んだ。

 五七五七七調のタイトルもインパクト大の『虚言者が夜明けを告げる。僕達が、いつまでも黙っていると思うな』、『真夜中の言葉は青い毒になり、鈍る世界にヒヤリと刺さる。』という2枚のEP、メジャーデビュー作となった1stアルバム『シアノタイプ』を立て続けに発表すると、一部では“ゆとり世代の逆襲”とも言われ、彼女たちの存在は音楽シーンに広く知れ渡ることとなる。そんな2人が最初に表現の根幹を示したのが、〈狂えない 狂ってしまえない どんなに寂しくても〉と歌う「Vanilla」だった。

「怒ってたり、苦しんでたり、感情はいろいろですけど、私たちの歌は絶対狂えない人の歌なんです。根本にある“狂えなさ”みたいなのは、ずっと変わらずにあると思う。どちらにも行けない、“逃れられなさ”みたいな感覚がずっとあって、でもそれってみんなどこかに抱えてる感覚だと思うから、それを言葉にしたい。振り切れない何かをずっと書いてきたつもりだし、私も含めたそういう人たちの歌を歌ってきたつもりです」(ハルカ)

ハルカ

 狂ってしまえない、普通の人々を肯定するということ。それは〈僕らの夜に出口はなかった〉と歌う「ドライアイス」や、〈少しだけ未来のこと期待してしまうから/できるだけ気づかれないように笑った〉と歌う「シアノタイプ」のような初期の代表曲にも表れていたし、それ以前に“ハルカトミユキ”という普通過ぎて逆に違和感すらあるネーミングセンスにも表れていた。しかし、2人が足を踏み入れたのは“スターシステム”が残存する世界であり、求められたのは、決して普通ではない、カリスマチックなアーティスト像。まだ20代前半だった2人はその差異に苦しみ、3枚目のEP『そんなことどうだっていい、この歌を君が好きだと言ってくれたら。』のリリース後、一時の活動休止を余儀なくされる。

「言葉は違えど、求められたのは“狂え”っていうことだったと思うんです。実際、それができる人がスターになってるのかもしれないけど、私はやっぱり狂えないスターが好きだったし、私もそうなりたかった。でも求められるのはそうじゃなかったから、それはアーティストしても、生きる上でもつらかったんですよね。歌詞に関しても、求められたのは“わかりやすさ”で、怒ってるなら狂ったように怒ってるとか、その方が目立つのはわかるんだけど……でもそうじゃないって気持ちがずっとありました」(ハルカ)

 「わかりやすさ」は言葉だけではなく、ライブにおいても求められていた。2010年代前半はフェスが市民権を獲得するまでに成長し、一体になって盛り上がることが重要視された時代だった。しかし、ハルカの送ったデモテープをきっかけにデビューが決まり、その後に初めてバンド編成でのライブをスタートさせたハルカトミユキにとって、ライブハウス叩き上げのバンドたちと同じ土俵に上がることは決して簡単ではなかった。自身の表現に悩んだハルカと同様に、ミユキもまた「何をやりたいのかわからなくなった」と振り返る。

「フェスのわかりやすいノリに対して、自分たちの曲がそういう曲ではないとわかりつつ、無理やり盛り上げようとしてみたり……でもそんなことばっかりやってたら、自分自身がなくなってしまう。当時はとりあえず一生懸命やっていれば、いつか日の目を浴びるはずと思ってやってたけど……」(ミユキ)

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