「映画には過去も現在もない」シネマヴェーラ渋谷館主が明かす、名画座経営10年の信念

 2016年1月に、開館10周年を迎える“名画座”シネマヴェーラ渋谷。その館主であり弁護士でもある内藤篤氏が、シネマヴェーラ10年の軌跡を綴った回顧録『円山町瀬戸際日誌』(羽鳥書店)を上梓した。エンタメ関連に詳しい弁護士ではあったものの、劇場経営はまったくの素人だったという内藤氏は、どのような思いのもと自ら名画座を立ち上げ、さまざまな逆風が吹くなか、それを10年間維持することができたのだろうか。リアルサウンド映画部では、このタイミングで内藤氏を直撃。名画座経営を通じて見えてきたものはもちろん、デジタル化を含めた、名画座を取り巻く最近の状況、そして名画座の意義や魅力に至るまで、さまざま質問をぶつけてみた。

「名画座がなくなるということに、個人的な危機感が募った」

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内藤篤氏

――まずは改めて、シネマヴェーラ開館の経緯から教えていただけますか?

内藤篤(以下、内藤):映画好きが高じてというのが、いちばん簡単な理由です。僕は映画好きのなかでも旧作好き、名画座好きというところがあったので、90年代から00年代にかけて、名画座がだんだん減って来て……自分もそのぐらいの年には、なかなか名画座に日常的に通えるような年齢でもなかったんですけど、名画座がなくなるということに関しては、妙に個人的な危機感が募ったんです。「これはどうにかしなければならぬ」って。もちろん、そんなことを思っているだけではどうにもならないので、「それだったら、自分でやってしまえ」みたいな。そんな感じでした。

――当時、40代ですか?

内藤:僕が1958年生まれだから、42ぐらいですね。あと、もうひとつ背中を押したものがあるとすれば……僕は、2001年の暮れに大病を患って。がんだったんですけど、抗がん剤を打ったり、手術をしたりして……日韓ワールドカップ共催を病院のベッドで見ていたという鮮烈な記憶がありまして。手術をして、一応ことなきを得たんですけど、そうやって一度拾った人生なんだから、あとは好きなことをやろうみたいなものがありました。

――そして、2006年1月に、館主として名画座「シネマヴェーラ渋谷」をオープンしたわけですね。やはり、昔の日本映画を上映するような劇場にしようと?

内藤:それもあるんですけど、過去と現在の両方を出したいっていうのがありました。映画というものには過去も現在もなくて、全部が繋がっているんだっていう感覚を、それこそ若い人たちに伝えられたらいいなっていう。それで、こけら落としが「北野武/ビートたけし レトロスペクティヴ」だったんですけど。ただ、やっていくうちに、近い時代の映画は、なかなか客入りが難しいことが分かってきました。

――“近い時代の映画”というと?

内藤:90年代ぐらいからこっちの映画というか。邦画は特にそうですね。やっぱり名画座にくるお客さんって、ある意味では特殊なところがあって。一般のお客さんは、基本的に名画座には近寄らないんですよ。で、名画座に来くるようなお客さん――名画座業界周辺の人々は、彼らのことを“映画獣”っていうふうに呼んでいますけど(笑)ーー彼らは90年代からこっちの映画には、敢えてこないみたいなところがあるんですよね。

――なるほど。

内藤:ただ、そういう“映画獣”以外のお客さんにも来てもらいたいから、90年代以降の映画であっても、観るべき価値のあるもの、観てもらいたいものは、めげずに特集して……たまに、当たることもあるんですよ。黒沢清特集なんかは、過去2回とも非常に良い客入りでしたから。ただ、この本にも書いたように、どの映画をやるとお客さんが来て、どれをやると来ないかっていうのは、未だによく分からないですね(笑)。

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