『日本で一番悪い奴ら』『ケンとカズ』『クズとブスとゲス』 門間雄介が“暴力”を題材にした映画を考察

門間雄介が“暴力”を題材にした映画を考察

 暴力を題材にした映画が近頃多い。『アイアムアヒーロー』『ヒーローマニア-生活-』『シマウマ』『ディストラクション・ベイビーズ』『ヒメアノ~ル』『クリーピー 偽りの隣人』『葛城事件』……ざっとこれだけの作品が何らかのかたちで暴力を扱っているが、そのモチベーションやアプローチの仕方は当然のことながら異なっている。

 暴力を描くことは映画におけるひとつのタブーだ。そんなタブーとしての側面に果敢に挑んだのが『日本で一番悪い奴ら』だろう。タブーとは何か。ひとまず未成年者による鑑賞の是非を判断する、映倫(映画倫理委員会)の審査基準をそのもの差しにしてみる。映倫が審査するのは、映画が法や社会倫理に反しているかどうか、例えば性・暴力・麻薬や犯罪などに関する表現の度合い、文脈との関わりなどだ。いや、驚いた。「性・暴力・麻薬や犯罪」って、すべて『日本で一番悪い奴ら』が大っぴらに描いていることじゃないか。

 『日本で一番悪い奴ら』は稲葉圭昭による手記『恥さらし 北海道警 悪徳刑事の告白』をベースにしている。北海道警察銃器対策課のエースと呼ばれた男が、実は約200丁の拳銃や末端価格40億円相当の覚醒剤の取引に関わっていたというとんでもない実話だ。主人公の諸星は組織をのし上がりながら、性や麻薬に溺れ、やがて暴力と犯罪のうちに破滅していく。描かれるのは警察官の汚職や裏社会との癒着、そして公権力の腐敗である。この作品にタブーを犯していないところを探すほうが難しい。

「夜道にはくれぐれも気をつけます」

 作品の感想を伝えたとき、白石和彌監督が冗談めかして言った言葉は、あながち冗談でもなかっただろう。それでも相応の覚悟をともない、実録犯罪劇を手掛けるリスクを背負いながら、白石が作りあげようとしたのは徹底的に「インモラル(不道徳)」な映画だ。

「今でも覚えている映画やテレビってインモラルなものが多いと思うんですよ。今はテレビだとそういうものが出来なくなって、日本映画もそれに近いものになりつつある。だからこの映画に関しては、インモラルなことを出来る範囲でやらなきゃダメだと思ったし、なおかつ面白い映画をめざしました」(『日本で一番悪い奴ら』プレス資料より)

 白石にとって本作のような暴力や犯罪描写は、日本映画の現状に対するアンチテーゼである。一方、作品をきちんと観れば、この物語を貫く太い背骨の存在に気づく。これは純粋で一途な青年が、純粋で一途であるあまり悪事にずぶずぶとはまり込んでいく哀しい転落記だ。白石は前作『凶悪』で、実際に起きた連続殺人事件を題材に平然と殺人がおこなわれる異様な状況を描きながら、一方で事件にのめり込んでいく雑誌記者の生活に密着した。その興味の対象が暴力や犯罪の上面ではなく、もっと深層にあるもの、暴力や犯罪を起こす人間の側にある彼の映画は、だから人間の生を切りとった作品として面白い。Netflixオリジナルドラマ『火花』で彼が演出を手掛けた第4話を観ると、哀切な人生に迫る白石の演出の確かさがさらにわかる。ちなみに、あれだけの性・暴力・麻薬や犯罪に関する描写を盛り込みながら、『日本で一番悪い奴ら』の映倫による区分は「R15+」(15歳以上が鑑賞可)。実際、劇場には若年層が多いという話も聞く。

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『ケンとカズ』

 暴力という題材に関心を示す若い人たちのなかには、受け手も作り手も含まれる。1986年生まれの小路紘史監督による初長編作『ケンとカズ』は、暴力と隣り合わせに生きざるを得ない若者たちの青春が苦く切ない。舞台は千葉県郊外。腐れ縁のふたり、ケンとカズは自動車整備工場で働きながら、覚醒剤の密売で金を稼いでいる。だが敵対する勢力と手を組み、販路を拡大しようとしたことから、ふたりは人生の坂を転がり落ちていき……。

 いや、主人公ふたりの人生はすでにこれ以上転がり落ちようのない底辺にある。だからそこから這い上がろうとして、彼らはみっともなくあがき苦しむ。その選択が未来を犠牲にするとも知らずに。小路は彼らの不器用な生き方に安易な希望を見出さないが、かといって突き放すわけではなく、むしろ愛おしさをもってその隘路を見つめている。

「男と男の間はいつでもこうあってほしい。言葉がなくても伝わるものを描きたかった」(『ケンとカズ』プレス資料より)

 小路みずからの発言にあるように、彼は暴力描写を言葉なしに何かを伝える表現ととらえ、暴力が生きるすべでもある男たちの物語をクソまみれな理想郷のうちに描きだした。だから男たちは殴り、また殴られる。こういった作劇は、任侠映画やヤクザ映画でかつてよく目にした、きわめてオールドスクールなスタイルかもしれない。でも時代が二回りくらいして、日本の映画やドラマから暴力が消えかけたとき、新しい作り手はそこに映画でなければできない表現を、日本映画の現状を打破する突破口を見出したのだろう。『ケンとカズ』はインディペンデント映画でありながらインディペンデント映画を越えようとしている。カットのひとつひとつまで考え抜かれ、編集は適切なリズムを刻み、劇伴は壮大なスケールすら感じさせる。何より優れているのは、まだ無名と言っていい役者たちを起用して、彼らをすべて輝かせた演出だ。

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