『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』にも匹敵! 『アンフレンデッド』の革新的方法論に迫る

『アンフレンデッド』の卓越したアイデア

 『ブレア・ウィッチ・プロジェクト』で手持ちカメラによるPOV方式が登場したのが1999年。その8年後には、固定された映像でひたすら同じ描写を映し続けた『パラノーマル・アクティビティ』が登場する。“見せ方”ひとつで、そのジャンルとしての持ち味に影響を与えてしまうのだから、ホラー映画というのはいつの時代も映画としての通説を超えたアイデア性が求められるものだ。

 日本映画が主要部門を独占した2014年のファンタジア国際映画祭でお披露目され、「最も革新的な作品」として特別賞を受賞したレヴァン・ガブリアーゼの『アンフレンデッド』は、古典的な要素を果てしなく現代的な方法論で描き出している。前述した作品のように類似ホラーが大量に登場する、ひとつのエポックメイキングホラーになってもおかしくないが、そう簡単に真似できないほど徹底した作り込みを図っているあたりが妙に憎たらしい。

 スクリーン上に映し出されるのは、パソコンの画面だけ。そこには幾つものウインドウが開き、主人公のブレアはSkypeで仲間たちとグループ通話をしながら、彼氏とメッセージのやり取りをし、気になることがあればChromeで検索をかけて、Facebookも使えばiTunesで音楽もかける。そんな自由自在なPCの画面に氾濫する情報の中に、突然現れたのは自殺した友人のローラ・バーンズ。インターネット上にパーティーで泥酔して醜態を晒している姿を映した動画がアップロードされたことを苦に、自らを銃で撃ち抜いて自殺したローラは、自分の命日に友人たちのグループ通話に混ざって復讐を遂げようとするのだ。

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 その復讐を受ける6人の若者たちが、揃いも揃ってどうしようもない連中で、彼らの上辺だけの友人関係がローラによって剥がされて行く姿は、まるで80年代の『13日の金曜日』頃から始まる青春ホラーの典型的被害者像をなぞっているのだろう。悪役側の抱えてきた苦痛や哀しみを際立たせるために、あえて被害者側を“善”とかけ離れた存在に仕立てる。観客は彼らが襲われることに不思議と合理性を感じてしまい、下手に誰にも感情移入をさせないことで、表層的な恐怖と向き合わせようとさせるわけだ。

 本作と同じように、PCの画面だけで映画を完成させる方法論に挑んだ作品として、一昨年公開されたナチョ・ビガロンドの『ブラック・ハッカー』との比較は避けられない。イライジャ・ウッド演じる青年が、どこにいるかわからないハッカーの姿に怯えながら、狙われている女優を助け出そうとするスリラー映画だ。

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