『スーサイド・スクワッド』が悪役たちを“人間らしく”描いた理由ーーデヴィッド・エアーの真意は?

『スーサイド・スクワッド』悪人の描き方

 経済の中心地で映画の街として名高いロサンゼルスに、強盗や殺人、売春・麻薬ビジネスなどがはびこる「全米で最も危険」と呼ばれている地域がある。建物の壁には落書きが目立ち、店の入り口や窓には防犯用の鉄格子がはめられている。『ワイルド・スピード』や『トレーニングデイ』の脚本を手掛けキャリアを高めてきたデヴィッド・エアーは、まさにその街で育ち、また軍務経験を経ることによって、映画作品のなかで描かれる犯罪や、血にまみれた暴力にリアリティを与えてきた。

 監督作である『エンド・オブ・ウォッチ』で、ロサンゼルスの警官がギャングと一対一の殴り合いをして、「なかなか根性あるじゃねえか」と互いを理解し合うように、それぞれに極限的な環境で生きる末端の人間たちに共通する、暴力的な価値観や仲間意識を、ハードなテイストで描くデヴィッド・エアーが、今回アメコミ映画の監督を務めたというのは、一見すると意外である。しかしその作品が、アメコミの悪役たちがチームを組んで、もうひとつの悪と戦うという内容の『スーサイド・スクワッド』だったというのは、ある意味では納得できる人選といえるだろう。

20160909-SuicideSquad-sub1.jpg

 

 本作の悪役チームに参加しているのは、DCコミックスの「バットマン」や「フラッシュ」に登場し、ヒーローによって倒され収監された人気悪役たちである。なかでも、百発百中の狙撃手「デッドショット」にドル箱俳優のウィル・スミス、ジョーカーを愛するマッド・ガール「ハーレイ・クイン」を、いまハリウッドで最もセクシーなマーゴット・ロビーが演じるなど、俳優の豪華さに目を惹かれてしまう。彼ら危険な凶悪犯罪者たちは、悪党の有効活用政策として、減刑を条件に、いや応なしに人の力を超えた悪と戦うための尖兵にさせられてしまう。政府にとっては、悪と悪に同士討ちをさせ、どちらもくたばってくれれば万々歳なのだ。

 本作でもわずかに言及されるが、アメリカ軍は第二次大戦時、実際にマフィアの協力を仰いだことがあった。旧世代のボスたちを次々に殺害することでマフィアのトップにのぼりつめた、アメリカ史上最大の犯罪者ラッキー・ルチアーノは、敵国からのスパイをあぶり出したり、イタリア攻略のためにマフィアの情報網を活用する「暗黒街計画」に協力し、さらに政府関係者に賄賂を贈ることで恩赦を与えられ、刑務所を出所することができたという。だが彼は政府の手引きによって、そのまま永久に国外追放となってしまう。

20160909-SuicideSquad-sub3.jpg

 

 それにしても、闇の世界の権力者までをもとことん利用し上前をはねようとする権力側のがめつさが、本物の悪人の上を行っているというのもおそろしい。このような非人間性を本作で体現しているのが、スクワッドをとりまとめる政府高官の女性「アマンダ・ウォーラー」である。彼女は悪役たちの体内に爆薬を仕込み、「ほらほら、戦わないと爆破させるよ」と脅しながら言うことを聞かせるのだ。彼女の歪んだ「正義」によって、意志に反して奴隷のように使い捨てられていく悪役たち。その悲壮さは、もはや悪人というよりは被害者のように見える。この逆転が本作の面白いところである。

 そこにあるのは、やはりデヴィッド・エアー監督の社会に対する実感であろう。兵士は死を覚悟して戦地に赴き、ダウンタウンで粋がる地元のギャングは、ある朝ハチの巣のように銃弾を撃ちこまれた死体で発見され、殉職した警官の家族は呆然とした表情でその遺体を見つめる。彼が共感し描こうとするのは、ヒーロー作品がテーマにするような正義や悪ではなく、このように前線で命を張っている人々への共感だ。その意味において、悪党を脅して操る人でなしのアマンダ・ウォーラーですら、前線に顔を出すことで、一定の共感が与えられているといえよう。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる