サエキけんぞうの『ハドソン川の奇跡』評:イーストウッドは“9・11後遺症”にどう回答したか

サエキけんぞうの『ハドソン川の奇跡』評

 多くの人がニューヨークやパリ、ロンドンには「観光目線」ででかけるだろう。そこではホテルの廊下や下町の路地でさえもキラキラと輝き、ひとときの非日常に酔える。しかしもし、長期間を仕事で滞在すると、その場所もルーティンな風景に見えてくるかもしれない。さらに、思わぬ疑いをかけられたとしたら? 輝く街が一変して、グルーミーな街になってしまうだろう。
 
 この『ハドソン川の奇跡』は、ニューヨークを見る目を一変させてしまう。主人公・サリー機長の目線で阿鼻叫喚の事故の当事者となり、英雄になったかと思えば、あっという間に驚くような理由で、糾弾されうる立場となってしまう。その悪夢のトンネルのような世界が容赦なく描かれ、その精神世界の中で、見たこともない肌寒さが漂うニューヨークの街をさまようことになる。

 これは2009年1月に米ニューヨークのハドソン川で実際に起こった物語だ。飛行機事故で、制御不能になった旅客機は、機長の判断でハドソン川に驚くような不時着が行われた。ガンの群れに遭遇、エンジンに衝突し、両エンジンが同時に停止するという非常にレアなケース。乗客乗員155人全員の命は、風前の灯火となった。

 サリーこと機長のチェスリー・サレンバーガーは、当時57歳で元アメリカ空軍大尉。経験に裏打ちされた老練な判断で、アドバイスされた空港への緊急着陸を断念。高度と速度が低すぎるという理由で、ハドソン川に緊急着水を決断、奇跡のような着水劇を行った。ところが、事故調査の過程で同じ状況のシミュレーションを行なったところ、エンジン停止後、すぐに空港へ引き返していた場合、ギリギリではあったが緊急着陸は可能だったことが判明。そのために英雄だったサリー機長は一転して事故責任対象者となってしまう。マスコミの目を逃れ、自宅にも帰れずにホテルにこもらなければならなくなるという経過をたどる。これが現実に起こったことと同じ当映画の物語である。

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 世には冤罪事件が星の数ほどもあるのだろうが、このように衆目のもと、頂点から底辺への下落をたどることは稀だ。事故調査委員会から疑いの目を向けられる中、ニューヨークの街の冷え冷えとした風景体験が待っている。華々しいはずの米国ホテルの壁や廊下が見たこともない怪訝なものに見えてくる。

 そんな疑惑を生みだしたのは、燃料と軌道の計算を行ったコンピュータという魔物である。コンピュータ登場前なら「奇跡の着陸!」でヤンヤの喝采を浴び、それでチャンチャン、となるのだが、人工知能もリアルになってきた21世紀は、人類1人1人の全てに、このコンピュータという魔術の存在がのしかかってきているのではないか? 通常の生活ではここまでかどわかされることはなかろうが、それでも容易に行動を脅かす可能性があることを、この映画は警告する。経験から編み出す研ぎ澄まされた判断ほど、計算値との重篤な誤差が生じそうだ。

 人間の直感は、しばしば事実の集積を飛び越え、その先にそびえ立つ、あり得ないように見える正解を示唆する。芸術がらみならそんなことはしょっちゅうだ。

 この映画でシャープに描かれるのは、サリー機長の判断の、膨大な経験からくるあまりにも冷静で強力な判断力だ。いや「判断力の持つ気配の迫力」だ。

 突如として起こる事故の現場の気配。常人なら失神しそうな精神クライシス。異常発見から決断までのクールなコマ回しは、あくまで日常目線のさりげなさを外していない。究極の緊張の中、とんでもない事件を自分の手足の動作、一つ一つで解決に向けなければならない。そんなコックピットの静寂感がすごい。パニック映画のような強迫感とは全く違うリアルさなのだ。

 トム・ハンクス演じるこのパイロットの強靱な精神力の描写が切り立っている。虚空での操縦経験という極私的データの集積の迫力を感じさせられた。

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