松山ケンイチ、体重20kg増で挑んだ渾身の演技 『聖の青春』は“生き方”を問う

小野寺系の『聖の青春』評

 松山ケンイチが体重を20kg大増量し、29歳の若さで亡くなったプロ棋士・村山聖(むらやま・さとし)を演じる。そう聞いたときに心躍るものを感じたのは、演技において圧倒的な力と鬼気迫る迫力を持つ天才的俳優が、やはり実在した鬼気迫る天才を演じるという試みへの期待に他ならない。実在した関西の将棋指しを描くという意味では、将棋狂いで女房を泣かし、将棋界最高位と呼ばれる「名人」を目指した坂田三吉の生涯を描いた、名匠・伊藤大輔監督の『王将』(同監督により2度もリメイクされた)も想起させられる。

 子供のときから難病と闘い続けながら、やはり名人になることに執念を燃やして異例のスピードでプロへの道を駆け上がり、あの羽生善治とも互角の対戦を繰り広げ、病院のベッドで意識が朦朧となりながらも頭のなかで将棋を指し続けていたのか、最期に「2七銀」と言い遺し亡くなるという、まさに映画のようにドラマチックで、短いながらも濃密な生涯を送った村山聖。松山ケンイチは、この映画化企画の噂を聞きつけ主演を名乗り出て、自主的に体重を増やし撮影に臨んだというから、こちらも並みの入れ込み方ではない。

 役に向けての体重の増減といえば、『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロが有名だが、急激な体重の変化が健康に良いわけはなく、とくに増やす場合は不要な成人病などのリスクを負ってしまうし、何よりも不格好な体型になってしまうことは避けられない。だが、それでもやるというのは、松山がアイドル的な人気や素敵なライフスタイルなどよりも、演じることそのものを優先する本物の「俳優」だということを証明しているといえるだろう。その姿勢が、将棋に人生のすべてを懸けた村山聖の姿勢に重なり、これまで以上の迫力を帯びていく。

20161125-satoshi-sub4.jpg

 

 住宅地の公園横のゴミ捨て場に倒れている、松山ケンイチが演じる村山聖。撮影された場所は、実際に村山が住んでいたアパートの前だ。ゴミと並んで横たわる彼の頭上には、風で舞い散る桜の花びらが降り注いでいる。その儚く、しかし華々しく輝いた人生を暗示するかのようなシーンから映画は始まる。 たまたまその村山を見つけてくれた、アパートの階下で電気工事屋を営むおっちゃんが、頼まれるままに大阪の将棋会館へ彼を運ぶ。立派で静寂に包まれた座敷に通された村山は、そのまま一対一の対局に入る。座敷から閉め出されたおっちゃんは、会館の大部屋で大勢がひしめき合いながら真剣に対局している光景を見て肝をつぶす。村山は関西将棋界で最も注目を浴びる若手のホープだったのだ。ちなみに、実在するこのおっちゃんは、その出来事をきっかけに何度も村山を将棋会館へ送迎してくれたという。

 村山がよく目にしていただろう近所の日常的な風景がカットインされる対局シーンが面白い。これは村山にとって将棋で戦うことがすなわち日常そのものであるという意味の演出だろう。「常在戦場」の気合いで、目の前の一手一手に人生の浮き沈みを懸ける勝負師のひりついた感覚は、現代に生きる一般的な人間には想像しがたいものがある。

 その一方で村山は、栄養バランスや食制限などには全く気を使わず、髪も爪も切らずに、三千冊の少女マンガに埋もれた雑然とした部屋で暮らし、昇段の祝賀会にも遅刻するというだらしなさを見せる。誰にとっても「生活をちゃんとする」ということは、最低限の努力が必要となる。彼はおそらく、そのような面倒くさい努力をするなら、それを全て「対局」に注ぎ込みたいという考え方なのだろう。このようなある種の未熟さや、武士のような時代錯誤的価値観が、むしろ村山の勝負への先鋭さを生んでいたともいえそうだ。

20161125-satoshi-sub6.jpg

 

 その生き方と対比されるのが、染谷将太が演じる、プロになるまでの年齢制限の崖っぷちに立たされている村山の弟弟子だ。負けて意気消沈する彼は、「お前のどこが命懸けてんじゃ!!」と村山から怒鳴られ追い打ちをかけられる。私も子どもの頃に祖父から将棋を教えられ、友人などと将棋を指した経験があるが、そのようなレベルでも将棋で負けるということは本当に悔しい。それは、運の要素がほぼ排除された、頭の良し悪しそのものが目の前に結果として突きつけられるからだ。年齢制限と闘う人間が、人生経験もない年若い相手に負けるという屈辱はどれほどであろうか想像も及ばない。だが本作の村山は、そんな彼に対して勝負への真剣さが足りないと言うのだ。

 村山には数々のライバル棋士がいたが、本作で東出昌大がそっくりに演じる羽生善治との勝負の描写に焦点を絞っているのは、彼らの勝負師としての孤高の精神を際立たせるためである。TV中継でおなじみの、勝負直後の感想戦をリアルに演じたりもする彼らの対局シーンは、表面的なかっこ良さとはかけ離れたユーモラスさを感じてしまうが、本作はそのようなケレンを排した演技だからこそ、彼らが一般的な感覚からかけ離れた境地にいることを表現できているといえるのだ。村山は羽生を定食屋に連れ出して、ビールを酌み交わしながら、羽生の「勝負に負けて死ぬほど悔しい」という言葉を引き出す。実際の彼らの考えは分からないが、ともかく本作では「勝ち続けること」「負けたくない気持ち」だけが将棋の全てであり、それが、彼らが将棋を指す理由であると示す。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「作品評」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる