『カルテット』『オカムス』『大貧乏』……視聴者がドラマに求めるものはどう変化したか?

 今期のドラマで一番印象に残ったのは『お母さん、娘をやめていいですか?』(NHK)だ。

 脚本は『昼顔~平日午前3時の恋人たち~』(フジテレビ系)等で知られる井上由美子なのだが、娘を溺愛するがゆえに自主性を奪っていく母親がとても恐しくて、「すごい鉱脈を掘り当てたなぁ」と思った。母親役は、数年前にダイエットに成功して、アイドル時代に匹敵するかわいらしさを取り戻しつつある斎藤由貴が演じたのだが、auのCMなどで見せる娘と同じくらい若く見える友達親子ぶりが、今作では見事にグロテスクなものとして反転していた。
 
 本作がもしも頭のおかしいお母さんを見世物的に消費させるホラー映画のような作りだったら、もっと安心して見ていられただろう。しかし、このお母さんはどこにでもいる普通の人で、決して得体の知れないモンスターではない。ただ、娘と自分をほとんど同じ存在だと感じていて、他者だと理解できていないだけだ。娘のデートを尾行したり、恋人と別れさせようとする行為よりも、自分のやっていることは娘のために絶対に正しくて娘もそれを喜んでいると信じて疑わない姿こそが、実は一番恐ろしくて厄介なことなのだが。同時に思ったのは、今のテレビドラマはこのお母さんのようになってきているのではないかということだ。

 ここ2年くらいのヒット作を見ているとテレビドラマに視聴者が求めるものが大きく変わってきたと思う。以前、中央公論(2016年7月号)で連続テレビ小説『あさが来た』(NHK)の脚本家・大森美香にインタビューした時に、「3・11以降、みんな心がナーバスになっているので『見ている人を傷つけたくない』と思いながら書いていました。嫌な気持ちになるシーンがあっても長くは続かないようにして、『明日もがんばって生きてみよう。来週の続きが気になるから、がんばってみるか』という気持ちになってもらえる物語を心がけました」と語っていた。今の視聴者に受けるドラマは基本的に『あさが来た』のような見ている側が傷つかない優しい世界であり、好きな俳優が楽しい会話劇を延々と繰り返している姿を見たいのだなぁと思った。

 その傾向を理解して居心地のいいコミュニティを描く一方、露悪的な現実をこれでもかと描いていたのが坂元裕二の社会派ドラマだったのだが、今期の『カルテット』は、今までの社会派的要素は影を潜め、閉じた世界でかわいいキャラクターが延々と戯れるという、見ている人が傷つかない優しい世界を展開し、SNSで人気となっていた。もっとも、序盤は楽しいやりとりの裏に見える不穏な予感が見え隠れしていて、いずれはこの居心地のいい世界が崩壊へと向かうのだろうと思っていた。主人公たち4人に対して、得体のしれない敵役としての来生有朱(吉岡里帆)という生粋のサークルクラッシャーが露悪的な現実を突き付けてくる場面もあったので、緊張感をもって見ることができたのだが、結局、有朱の描写は中途半端に終わり、なし崩し的に居心地の良いぬるま湯のコミュニティが続いていく終わり方を見ていると、何だか妙に居心地が悪かった。ドラマとしては楽しめたけど、自分が好きだったのはここ数年の泥臭い坂元裕二だったんだなぁと改めて思った。

 露悪的な物語を見せて視聴者の感情を煽る見世物小屋的な通俗性こそがテレビドラマの魅力だと筆者は思っていたが、今はアメリカのトランプ大統領にせよ、森友学園の騒動にしても、現実の方が露悪的な見世物小屋化している。そうなると、わざわざ傷ついてまで、フィクションで不快な現実を見たいという人はいなくなる。逆に求められるのは、不安定で不快な現実を遮断するためのシェルターとしての役割だ。それ自体は仕方のないことだと思うのだが、閉じたコミュニティが持つ生ぬるい優しさ自体がはらむ暴力性というものも世の中には存在する。『お母さん、娘をやめていいですか』で描かれた母子密着の共依存関係が描いていたのはそういった種類の暴力で、だからこそ現代的な恐怖を感じたのだろう。

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