黒人女性数学者たちの伝記映画を「アメコミ風ミュージカル仕立て」として宣伝!? 立川シネマシティ『ドリーム』戦略

立川シネマシティの『ドリーム』戦略

 東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】等で知られる“シネマシティ”の企画担当遠山がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案するこのコラム、第20回は先月に続き“映画館の宣伝について”というテーマの第3弾です。

 先月『ベイビー・ドライバー』を取り上げ、ラップ調の惹句でシネマシティ独自の宣伝を行ったことの詳細について書かせてもらったものが反響が大きく、またおかげさまで『ベイビー・ドライバー』もシネマシティでは9月のトップとなる大きなヒットを記録し、また執筆現在もなおたくさんのお客様にご来場いただいております。(参考:立川シネマシティは『ベイビー・ドライバー』をどう宣伝? 局地的ヒット狙う戦略を明かす

 そこで今月も同テーマで、シネマシティにおいて今度はもっと大胆に“映画館の独自宣伝”を行っている『ドリーム』について。

 映画館の独自宣伝は、配給会社のメインの宣伝を観たことがあるのを前提として、それによって“興味くらいは持った”方を主なターゲットとします。もちろん“観るつもりがない”方を惹きつけるところまで狙うべきです。

 ですので、メインの宣伝より“もう一歩踏み込んだ、新しい価値、意義”を劇場の性格を踏まえて作品にうまく付与できた時、成功します。

 “劇場に意思がある”、つまり次から次に始まる映画をただ自動再生しているわけではない、ということを示すことで、劇場へのファンを獲得でき、局地的なヒットを狙える可能性を生み出すと同時に、リスクとしては作品の捉え方の相違や、“意思”を煩わしいと感じられることで、アンチのお客様も生むことになります。このバランスとダイナミズムをどう設定していくかが勝負になります。

 『ドリーム』は実際に活躍した、NASAでロケットの軌道計算などを行った黒人女性数学者の伝記映画で、日本で告知をスタートさせた時にタイトルを『ドリーム 私たちのアポロ計画』と発表したものの、実際にはアポロ計画の前、アメリカ初の有人宇宙飛行となったマーキュリー計画を描く作品であったため批判が殺到し、急きょただの『ドリーム』に変更したことで話題になったので、ご存じの方も多いでしょう。

 この作品、アメリカでは大きくヒットしました。2016年末に公開され、なにしろまだ公開4週目の『ローグ・ワン スター・ウォーズ・ストーリー』を首位から引きずり降ろして2週連続興行成績トップを取ったほどです。

 まだコンピュータが本格導入されてない時代に、NASAでロケットの軌道計算を行った黒人女性数学者の伝記、という説明だけ聞くと、違う意味で“映像化不可能”という常套句が浮かんでくるような地味な題材の映画が、なぜこんな特大ヒットとなっているのか、興行に携わる人間としては興味津々で、日本で試写が始まると早々に拝見させていただきました。

 「その手があったか!」と感心しました。

 知られざる人物たちの、いわゆる“伝記映画”がこんなに当たるのには、ただよく出来ているだけではダメで、それなりの理由があるわけです。その理由とは何か。今作は“伝記映画”の型を大きく崩し、痛快なエンタメ作品に仕立ててあるのです。

 “伝記映画”というのはたいてい、偉業を成し遂げた人物がいかに苦難を乗り越え、そのような人物になったのか、ということを描くわけです。こんなことを言ったら身も蓋もないですが、ほとんどの作品がその偉業を志した理由を、子供の頃や青春時代の不幸、例えば両親の離婚とか、差別やイジメを受けたとか、つらい恋愛を経験したとかがあって、それをバネにして成長してきた……というような作り方になります。

 ところがこういう作品は手堅いヒットはしても、派手なエンタメ作品に対抗できるようなメガヒットはなかなか望めません。

 しかも日本ではリアリティを持ちにくい人種差別テーマで(この国に人種差別がない、ということではまったくありません)、ケヴィン・コスナーやキルスティン・ダンストが脇にいるものの主演の3人の知名度はなく、もうひとつの頼みの綱の、主要な映画賞でもいくつかノミネートはあるものの受賞はなしです。

 こうなるとこの映画に足を運んでくださるメインターゲットは「良心的な作品を求める大人の映画ファン」ということになります。

 一般的な“伝記映画”のイメージのままだと30代から50代がボリューム層で、男女比は半々か、女性メイン作品なのでわずかに女性が多い、というところでしょう。

 公開規模は全国約80館で、少なめの中規模というところですかね。アメリカでの好成績を考えると少し寂しいですが、日本では的確な規模だと思います。

 さて、作品内容の話に戻りましょう。

 今作で驚かされたのは、人物を掘り下げる、ということをあまり行わないことです。苦悩とか、逡巡とか、鍛錬を描いていくのではなく、最初から優れた能力をバンバン発揮していきます。計算の天才、エンジニアの天才、コンピュータの天才というトリオで、彼女たちの敵は非常に明確であり、過去のトラウマなどではなく、今そこにある“人種差別”と“女性差別”です。

 優れた能力で、明確な(戯画化された)敵を痛快に倒すこと。そうです、これ、アメコミの構造なんですね。これが大ヒットの理由のひとつだと思います。

 アメコミもどんどん複雑化してますけども、基本となるエンタメ性は「特殊能力で敵を倒す痛快さ」であることに変わりはありません。この史実としての正確性とリアリティを失っても、観客を楽しませ感動させ、重要なメッセージは底の方でそっと伝える、というのがヒットの手法です。

 差別的でイヤな上司を“ヴィラン”(悪役)として、意地悪されたら、圧倒的能力で論破、論破のこてんぱん。

 この気持ち良さといったらありません。誰でも仕事をする人間なら上司に感じたことのある「あいつ、いつかぶん殴ってやる」という思いを叶えてくれるわけです。

 そして今作はここにさらなるエンタメ性を付け加えるわけです。それが、音楽。

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