まさに「2017年的な映画」 『20センチュリー・ウーマン』が指し示した映画の未来

宇野維正『20センチュリー・ウーマン』評

 アート系映画の秀作を次から次へと世に送り出して、世界的に注目されている新興の映画カンパニーA24の配給で、2016年12月に全米公開された『20センチュリー・ウーマン』。ギリギリの公開タイミングで今年2月に開催されたアカデミー賞授賞式で脚本賞にノミネートされたことからもわかるように、本作は本国基準で言うなら「2016年の作品」ではあるが、2017年の終わりに今年日本公開された作品の数々を振り返ってみた時、これほど「2017年的な映画」はなかったんじゃないかと思えてならない。今回、DVDがリリース(12月6日発売)されるタイミングに合わせて、その意義と、本作が指し示した映画の未来について考察してみたい。

 本作のプロモーションのためにマイク・ミルズ監督が来日した際、某ファッション誌でおこなったインタビューは、今年自分がした取材で最も強い印象に残ったものの一つだった。1970年代の女性解放運動を人生そのもので体現していた(マイク自身の母親をモデルにした)シングルマザーと、政治意識の高い女性フォトグラファー、性に奔放な幼なじみという、物語の語り手となる少年をめぐる3人の女性を描いたこの作品を作った理由について、彼ははっきりとこう言った。 「今の時代、自分のような白人で、中年で、ストレートで、それなりに社会的地位のある男が主人公の映画を作っても、誰も観たくないんじゃないかな。何よりも、自分がそんな映画はもう観たくないんだ」。

 我々はつい、現在のアメリカ映画界の大きな変化のうねりをポリティカル・コレクトネスの影響という文脈でとらえがちだが、忘れてはならないのは映画産業はあくまでも「産業」であることだ。監督を筆頭とする作り手の人種を問わず、作品の主人公、あるいは少なくとも周囲の恋人や友人の中に有色人種の登場人物がいること。作品の本筋に影響を及ぼす及ぼさないに関わらず、主要キャラクターにゲイの登場人物がいること。女性が主人公であるかどうかに関わらず、そこで描かれている女性が自立しているか抑圧されているかが明確に示されて、それが問題提起となっていること。それらは、なにも昨今のブラック・ライブス・マター運動だとかウィメンズ・マーチだとかホワイト・ウォッシュ問題だとかトランプ時代への反動だとか、そういうものに気をつかっているだけではない。観客の多くが、もう古いジェンダー観、人種観に属する映画を求めていないのだ。2017年に映画化されたすべてのアメコミ・ヒーロー作品の中で『ワンダーウーマン』が世界的に最もヒットしたことは、その象徴的な出来事だった。

 1979年のカリフォルニアを舞台とする本作は、1920年代生まれ、1950年代生まれ、1960年代生まれと世代の異なる3人の女性の生き方を通して、多角的にフェミニズムの問題を扱った作品と言っていいだろう。マイク・ミルズは、そこに「セックス」と「アート」をめぐるエピソードや考察を絶妙なバランスで取り入れて、本作を政治的なだけではない、ポップな作品として見事に仕上げてみせている。

 マイク・ミルズ本人の体験が反映された15歳の少年ジェイミーにとって、セックスを象徴するのは、エル・ファニングが演じる2歳年上の「誰とでもすぐにするのに、友情を理由に自分とはしてくれない」幼なじみ、ジュリー。そして、アートを象徴するのは、グレタ・ガーウィグが演じる同居するニューヨーク帰りのフォトグラファー、アビー。アビーを通して、ジェイミーはトーキング・ヘッズやレインコーツやスーサイドやディーヴォの音楽に出会っていく。ソニック・ユースやビースティ・ボーイズのアートワークを手がけてきたマイク・ミルズにとって、本作はパンク/ニュー・ウェーブの原体験をめぐる物語でもあるのだ。当時のアメリカのパンク/ニュー・ウェーブのシーンにおいて、バンドからDIY精神を刺激されて各々のアート活動を始めるようになった若者たちの中には、多くの女性たちがいた。パンク/ニュー・ウェーブには、ロックンロールの世界における女性解放運動としての側面があったという正しい歴史を、この作品は描いている。

 一方、アネット・ベニング演じるジェイミーの母親ドロシアは、古いライフタイル、古い車、古い映画が好きで、ハンフリー・ボガートの映画を繰り返し観ている。かつてパイロットになることを目指し、現在はメーカーの製図室で働いている彼女は、「ハンフリー・ボガートのような男性に愛されること」に憧れているのではなく、「ハンフリー・ボガートのようになりたい」と憧れてきた。偶然、あるいは時代の必然か、それと非常によく似た設定は、現在シーズン3まで配信されているドラマ『ベター・コール・ソウル』(『ブレイキング・バッド』のスピンオフ・シリーズ)でも描かれていた。主人公ソウルの恋人の弁護士は、家でグレゴリー・ペック主演の『アラバマ物語』をビデオで観ている。彼女は幼い頃に「映画の中のグレゴリー・ペックのようになりたい」と思って弁護士を志し、その夢を実現し、くじけそうな時は初心にかえるために『アラバマ物語』を何度も何度も観るのだ。

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