松江哲明の『ロング,ロングバケーション』評:ただの“いい映画”ではない、風格と実験性

松江哲明の『ロング,ロングバケーション』評

 ヘレン・ミレンとドナルド・サザーランドの共演、爽やかなポスタービジュアル……最初に受け取った情報だけで、“いい映画”なのは間違いないとは思いつつも、普段だったら手を伸ばさないタイプでした。でも、ただの“いい映画”ではまったくなくて、想像を遥かに超える素晴らしい作品でした。

 アルツハイマーを患った元文学教師の夫・ジョンと、末期ガンに侵されている妻のエラ。子供たちから入院の働きかけをされるも、夫婦ふたりで過ごすためにキャンピングカーに乗り、ルート1号線でアメリカ横断の旅へ……。

 全編を通して、主要登場人物はヘレン・ミレンとドナルド・サザーランドの夫婦ふたりだけ。演技達者なふたりだけに、その演技をカメラに焼き付けようと演出が過剰になってもおかしくなかったと思います。でも、パオロ・ヴィルズィ監督の演出は一切邪魔をしません。いかにふたりの間に気持ちのいい空気を作るか、そこに徹底している。登場人物が少なく、会話のシチュエーションもキャンピングカー内がほとんどという中で、下手な演出をするとダラダラと単調な作品になってもおかしくない題材。でも、本作はテンポがいい。

 そのテンポのよさを生み出しているのが、とにかくキレ味の鋭い編集です。老夫婦ふたりがどんな人生を歩んできたか、どんな人間なのか、過剰な説明を排除して、描き過ぎなくても伝わるだろうという作り手の自信が垣間見えます。名優ふたりの演技、監督の演出、そして編集と、まさに名人芸を観ている感じがありました。

 具体的に挙げるとシーンの中でオチまでいかずに、その寸前でパッと次のカットにいくのが実に気持ちいい。例えば、夜のキャンプ場でふたりが思い出の写真をスライドショーで眺めているシーン。2人が過去を振り返っていると、いつの間にかキャンプ場に居合わせた若者たちがそこに混ざっている。夫婦が声をかけるアクションを入れてその前後を見せるのではなく、自然と彼らもスライドショーに引き込まれたと分かるように、さりげなくそこにいるんです。それはこの映画を観ている観客と同じ視点なんですよね。

 ジョンはアルツハイマーが進行し、妻であるエラのことを忘れる瞬間があります。キャンピングカーに1人で乗り込み、彼女を置き去りにするシーンがありますが、ここの見せ方も非常に巧みです。エラが息子に電話をしていると、その窓の外でキャンピングカーがスッと移動していく。ここでカットを割らずに、ワンショットで見せているところが本作の根幹をなしています。認知症の夫が妻を置いて1人で出発する、妻は居合わせたライダーのバイクの後ろに乗せてもらい夫に追いつく、夫はバイクにまたがる妻に「何をやっているんだ」と声をかける、自分を置いていったことに妻は怒るーー。一連のシークエンスを脚本として読むと、喜劇の色合いを強く感じますが、本作はそうはなっていません。コミカルな音楽を流すわけでもなく、おばあちゃんがバイクにまたがり追いかける画の面白さを見せるでもなく、あくまでふたりが直面する“日常”を本作は捉えている。

 このシーンに象徴されるように、コメディにせずに抑制された演出を続けているからこそ、最後に2人が取る選択がとても利いてくるんです。旅の過程で、初恋の相手に嫉妬したり、思わぬ過去の浮気がバレたり、ドラマチックな演出ができるところも、サラッと話を進めている。映画の中では、夫婦の断面しか観ていないはずなのに、その断面から彼らがどんな人生を送ってきたのか、それが分かる。過去を説明するために回想シーンを入れるようなことはしません。ふたりの現在を見せるだけで積み重ねてきたであろう長い年月が伝わるのは、名優たちの演技力があるからこそ、です。

 本作で一番素晴らしいのは最後に訪れる“ラブシーン”です。物語の結末とも繋がるため、多くは語れないですが、本当にこのシーンには感動しました。『ターミネーター』のサラとカイルが結ばれるシーンや、ギャスパー・ノエ監督の『LOVE【3D】』、田中登監督の『(秘)色情めす市場』、大島渚監督の『愛のコリーダ』など、性表現を踏み越えていくラブシーンはこれまでも生み出されてきましたが、本作のラブシーンも素晴らしい。このシーンが感動的なのも、前述したように抑制された演出を徹底的に積み重ねてきたからこそ。観客の「あともう少し観たい」と思う部分をスッと引いていきながら、本当に重要なシーンをしっかりと見せる。だから、ものすごく際立つんです。こんなにも美しく、自然なラブシーンはそう、ないと思います。

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