坂元裕二の休息はテレビドラマ史の節目となる 2010年代における功績を振り返る

2010年代における坂元裕二の功績

 先週、放送が終了した『anone』(日本テレビ系)だが、脚本を担当した坂元裕二が自身のInstagramで、「これにてちょっと連ドラはお休みします」と発表した。

 4年前から決めていたという。この報告を見た時、あまり驚きはなかった。むしろ、『anone』を見終わった後だと、とても納得できる。

 

いつもドラマを見てくださっていた方へ。4年連続で1月期の連ドラを書きました。来年の1月はありません。これにてちょっと連ドラはお休みします。4年前にそれを決めて、周囲にもそう話して、ずっと今日を目指して来ました。これらのドラマを好きになってくださった方、お手紙やメッセージをくださった方にはどんなに感謝してもしきれません。またいつか連ドラの世界に帰ってきたいと思いますが、ひとまずはありがとうございました。で、今後は色んなことに挑戦し、秋には舞台をやったりするのでまた是非。朗読劇もまた新しいのをやりたいし、満島さんと約束したチェロの映画も書きたいし、いつも見てくれてた瑛太さんとも今度はあまり間を置かずにお仕事出来るといいなと思います。ありがとう。坂元裕二 ※この文章を商用的な場へ転載しないでください。

坂元裕二 / SAKAMOTO YUJIさん(@skmtyj)がシェアした投稿 -

 偽物をテーマにした『anone』は変幻自在の脚本が話題となったが、視聴率の面では苦戦した。視聴率の良し悪しだけで作品を評価するつもりはないが、本作にはどこか、今まで坂元裕二のドラマを愛好してきた視聴者を拒絶しているようなところがあったように感じる。

 それは、物語冒頭で阿部サダヲが演じる持本舵が、余命僅かの自分に対して医者が言う、名言の連呼にげんなりして、「名言怖いんで」と言わせるところに強く現れていた。

 坂元裕二のドラマは台詞の評価が高く、放送が終了するとSNS上では劇中で発したセリフの名言集が作られ拡散される。特に『anone』の前作『カルテット』(TBS系)はその傾向が強く、先が読めないミステリアスなストーリーと相まって、SNS上で盛り上がりを見せた。

 しかし、そうやって劇中の台詞が、ストーリーから切り離されて、心地良い名言として拡散されていく状況にもっとも苛立っていたのは坂元本人だったのではないかと思う。

 台詞は、単体で独立したものではなく、どういう状況で誰が言うかによって印象が大きく変わる。例えば、『それでも、生きてゆく』(フジテレビ系)というタイトルは、震災直後だったこともあり、当初は前向きな意味に見えたが、実は殺人犯が抱えている殺人衝動を抱えたまま生き続けなければならない自分自身に対する自己憐憫の気持ちを現したものだとわかった瞬間、言葉の意味が全く違うものとなり唖然とした。これが台詞の印象が語り手によって変わることを一番わかりやすく表していた例だろう。

 名言の話はあくまで一例だが、偽物(=フィクション)と言うテーマを描いた結果『anone』には、坂元裕二の作家としての葛藤が他の作品に比べて強く出ていたように思う。

 特に『カルテット』が誤解に近い形でヒットしてしたことが尾を引いているように見えた。嘘から始まった弦楽四重奏の4人の関係も、『anone』の偽札で繋がった偽物の家族の関係も基本的には同じものだが、受ける印象は後者の方がより暗くて重い。

 『カルテット』が近年の坂元裕二作品の中でも異例の熱狂を持って受け入れられたのは、あそこで描かれた4人の関係が視聴者にとっては「誰も傷つかない優しい世界」として現実に対するシェルターのように受け入れられたからだ。おそらく坂元裕二にとって、あの世界は偽物の関係だからこそ美しくみえるのだという前提があったのだろう。それはフィクションだからこそ描ける美しさだと言い換えても良い。

 しかし、わざわざ「これは偽物ですよ」というエクスキューズを繰り返した『anone』には、最後まで居心地の悪いものがあった。普段は裏方に徹して視聴者の夢に奉仕していた脚本家が、自分の気持ちを大声で話しだしたような作品だった。

 テレビドラマの脚本執筆を休むと決めていたから、自己言及的な作品になったのか、偽物というテーマに引っ張られた結果、自己言及的になったのかはわからないが、こういう手品のネタバラシをするようなドラマを書いてしまった後で、すぐに新しい物語を書くというのは簡単なことではないだろう。だから「しばらく休む」と知った時はむしろ安心したくらいだ。

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