映画館ビジネスにおける舞台挨拶やライブスタイル上映の意義とは? “一回性の興行”について考える

一回性の映画館興行について

 東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】等で知られる“シネマシティ”の企画担当遠山がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案するこのコラム、第27回は“一回性の映画館興行”について。

 先月のコラム(『タイタニック』も極上音響で! シネコン×名画座『午前十時の映画祭9』が示す、映画館の価値)で《午前十時の映画祭9》上映作品のうちシネマシティでは12本の「音重要作品」をベテラン音響家に依頼して音響調整を行ってもらい上映する【極上音響】【極上爆音】で行うことについて書かせていただきましたが、その甲斐あってか、2年連続で作品選考委員でもある、映画評論家の町山智浩さんの講義つき上映を行わせてもらえることになりました。

 講義していただく作品は『地獄の黙示録 劇場公開版』【極爆】。ご存知フランシス・フォード・コッポラ監督の、ベトナム戦争映画です。戦争映画、と言ってもいわゆる「戦争映画」の枠にははまらない、不謹慎ながら爆笑コメディ要素あり、音楽映画要素あり、秘境アドベンチャー要素あり、環境保護ってなにそれ?というレベルの現在では考えられない密林ガチ大爆破シーンありの、幕の内エンターテインメント作品でもあります。

 コッポラは今作で「骨がガタつく」ような重低音を望み、Meyer Sound社がそれに応え「650P」というサブウーファーを開発。シネマシティにはいくつかの劇場にそのサブウーファーを備え、さらにいくつかの劇場には後継機のさらに進化した「700P」や「1100-LFC」というサブウーファーを導入しています。つまり、シネマシティは『地獄の黙示録』を観るのに、最適な劇場なのです。(参考:5/8(火)18:45回【町山智浩氏が語る20世紀名作映画講座】『地獄の黙示録』【極爆】開催

 さて、このコラムでは繰り返し「映画を映画館で観る意味」の追求を書き綴ってきましたが、映画館にお客さんを呼ぶ最も手っ取り早くて効果がある方法は“舞台挨拶/トークショー付き”にすることです。一番頻繁に多くの劇場で行われていることでもあります。ただし5大都市の中心にあるような映画館でないと、なかなか人気俳優、声優は来てくださいません。ですので最近は舞台挨拶のネット同時中継が頻繁に行われています。これなら何十館という劇場で同時開催できますからね。それなりにナマ感も味わえます。もっとごく小規模な作品の場合は、監督や俳優が毎日劇場に足を運んで集客に努める、なんてことも珍しくありません。作品によっては音楽演奏をしたり、パフォーマンスを行ったりも。

 制作者や出演者の登壇、識者によるトークなどは、上映に“一回性”をもたらします。映画館というのは“再現性”“均質性”が売りのエンターテインメントなわけです。同じ作品を、どこでも何度でも同じように鑑賞することができる、ということが他の劇場エンターテインメントに比較して映画の最大の美点です。音楽ライブでも、演劇でも、生の舞台はいくら同じ演目を繰り返しても、一度たりとも同じであるということがありません。それゆえに価値がある、ということでもありますが、劇場に入ることができる観客の数はごくわずかで、ごく限られた人のものにならざるをえません。必然、それなりの出し物は入場料も高額になります。制作費150億円、みたいな超高額な大作でも千円ちょっとで観られるのは、映画が世界中の人を観客にできるからです。

 ですがこの“再現性”“均質性”ゆえに、テレビやスマホでも観られる、ということになるわけです。映画はその特質によって、映画館の否定もしてくるのです。そこで映画館も、映画の特質に反撃して時に“一回性”を導入する。これが他の上映回との差別化になるわけです。

 ただし人を呼ぶ、というのは現在のところ、宣伝か単発イベント的なものであって、なかなか映画館ビジネスの一端を担う、ということにはなっていません。映画館での舞台挨拶やトークショーというのは、ほどんどの場合「作品プロモーション」の一部であり、映画館が独自にギャランティを支払って行うということはあまりありません。配給会社の主導なんですね。入場料もそのままのことが多いです。映画館がギャラや交通費や宿泊費を負担して主導することもありでしょうが、入場料をかなり上乗せしないと見合わないでしょう。地域によってはそもそもオファーを受けてもらえるのかという問題もあります。

 全国的にハードル低めに“一回性”を導入する方法が、ここ数年で一般にも浸透してきた映画鑑賞のスタイル、いわゆる絶叫上映、応援上映、発生可能上映などと呼ばれる、歓声やツッコミなど声をあげること、拍手や鳴り物をならすこと、サイリウムを振ることなどをOKとする上映ですね。

 このスタイルが面白いのは、“再現性”を維持しながら“一回性”を導入できるということです。あくまでも映画は通常通りに上映するだけです。流れるのはいつもと同じもの。しかし中にいるお客さんによって、ツッコミや盛り上げ方が変化する。だから参加するたびに、中身が変わってくるわけです。映画のライブ化です。これは、なかなかにスゴいことです。ですが、面白い点と同じくらい問題点もあります。エンターテインメントの質について製作側、劇場側がまったくコントロールできなくなるという大きなリスクもあります。

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