ディーン・フジオカの人生から学んだこと 『レ・ミゼラブル 終わりなき旅路』とともに新たな時代へ

『レ・ミゼラブル』にみる新たな時代の生き方

 革命前後の1800年代のフランスから、未曾有の事件や災害に見舞われた平成30年間の日本へ。混沌とした時代を描いたヴィクトル・ユーゴーの名作を、現代版にリメイクしたフジテレビ開局60周年特別企画『レ・ミゼラブル 終わりなき旅路』が1月6日に放送された。30年間を約3時間に凝縮した濃厚なドラマだけに、まだ余韻に浸っている方も多いのではないだろうか。

 その重厚感ある作りゆえに、もっとじっくりとこの世界観を見届けたかった、という欲張りな気持ちも芽生えてきた。できれば1回きりのスペシャルドラマではなく、1クール、いや1年と時間をかけて……。きっと主人公・馬場純(吉沢亮)が、母や弟と過ごした幸せな時間が描かれた分だけ、母が投資話に騙されて悲惨な思いをした情景が描かれた分だけ、彼が罪を犯すほどに追い詰められた気持ちに寄り添うことができただろう。初めてできた親友・渡辺拓海(村上虹郎)に代わって生きていこうとひとりで闘った葛藤や苦悩も見届けられたら、彼の覚悟と信念、そして痛みをさらに感じ取ることができたのではないか。

 また、正当防衛とはいえ自分の父親を殺し、脱走して、他人になりすましている馬場純(ディーン・フジオカ)を赦せない斎藤涼介(井浦新)の追い詰めるほどに揺れる正義感。もともと教師だったという徳田浩章(奥田瑛二)が『徳田育成園』を設立した想い。シングルマザーとなった不破唯(山本美月)が貧困に陥っていったきっかけ。田辺真澄・元の夫婦(長谷川京子・金子ノブアキ)が人の弱みに漬け込んだ生き方を選ぶことになった環境。そんな毒親を持つ田辺瑛里華(福田麻由子)の生きづらさ……と、限られた放送時間の中で描ききれなかったそれぞれの背景に思いを馳せてしまう。

 きっと、それだけ登場人物たちの置かれた状況が、取ってつけられた設定ではなく、“平成のあるある“を投影していたからかもしれない。私たちが日常的に見てきた事件や事故の向こう側には、その人生を生きている人たちがいたのだと改めて実感する。私たちは悲しいニュースを耳にするたび、「なぜ?」「どうしてそんなことに?」と問わずにはいられなかった。もちろんフィクションではあるのだが、それほどドラマのような事件が多く起こった30年間だったと気付かされる。

 しかし、相手を理解したいという愛情と、ただただ知りたいというエゴ。この2つの欲求は、傍から見るととても近いものに感じられる。知りたいという権利と、秘密にしておきたいという権利。罪を罰する側と、赦しを求める側。私たちが生きているこの世界は、いつだって白黒はっきりつけるのが難しい。権利を主張すれば、誰かの自由を阻害することにもなる。誰かが笑えば、誰かが泣くことにもなる。全員が勝つ、そんなことはない理不尽さ。だからこそ、どこに白と黒の境界線があるのかは、その都度探っていかなくてはならず、めんどくさいのが人間社会だ。

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