映画『ブラックパンサー』が示す、アフロ・フューチャリズムという可能世界

『ブラックパンサー』に見る「アフリカ発の未来」

 2月16日の公開以来、アメリカを中心に社会現象にまでなったマーベル・シネマティック・ユニバースの『ブラックパンサー』は、3月1日に公開された日本でも、公開4日間での興業収益5億円を突破した。

 ヒットの背景には、アフリカ系アメリカ人の歴史や、2013年に起きた白人警官による黒人少年殺害をきっかけにアメリカで社会運動化した「ブラック・ライヴズ・マター」といった社会背景があるのは確かである。だが、もうひとつの重要な要因は、アフリカに存在するテクノロジー大国というサイエンス・フィクション(SF)が指し示す、もうひとつの可能世界ではないだろうか。

アフロ・フューチャリズムという可能世界

 『ブラックパンサー』のプロダクションデザインを担当したハナー・ビーチラーは、Varietyの取材に対して次のようにコメントしている。「私は現実のサハラ以南の国の地形を参考にしながら、植民地化されずに独自の文化を保持し続けた、さまざまな部族が融合したアフリカの姿を想像しました。観客の皆さんは、この映画の世界にアフリカの歴史を見いだすはずです。ですが、その上位レイヤーにあるのがテクノロジーです。私が『ブラックパンサー』のプロダクションデザインを通して描いているのはアフロ・フューチャリズムという未来のアフリカの世界なのです」。

 彼女の課題設定は裏を返せば、西洋思想をベースにした科学史の延長にある現代のテクノロジーが、その歴史の途上で何を捨ててきたのかという問いにもつながるだろう。1995年、雑誌『WIRED』に掲載された、ケヴィン・ケリーとブライアン・イーノの対談で、「もし過去と未来への往復切符を手に入れたら、どこに行きたいか?」というケヴィンの質問に対し、イーノは次のように答えている。「過去に行くとすれば11世紀初期から13世紀のアラブ。イタリアルネサンスにはそこまで興奮しないからね(注:11世紀初頭から13世紀のアラブは12世紀ルネサンスの舞台となった。一方ここで語られているルネサンスとは、14世紀にイタリアで起きたルネサンスのことを指す)。未来に行くなら50年後のアフリカだ。アンビエントのように自由な浮遊感覚……独立心と依存心の奇妙な組み合わせと、それらの間に生じる動揺が、西アフリカのドラム・パターンの特徴だ。この感性を、未来にタイムスリップして自分の目で見てみたいとは思うね」。1995年から50年後とは2045年、奇しくもシンギュラリティの到来が予想されている時代である。

 イーノによれば、ルネサンスとは、絵画からモノを除外することに重きを置いていた時代であった。それは人間の魂の持つ、美しくない部分、生々しく野蛮な部分を無視することに他ならない。そして今、私たちが日々触れているテクノロジーとは、ルネサンス期に起きた人文主義の延長にある、人間の理性への信頼に基づく西洋科学の進歩がもたらしたものである。これはイーノがかつて予言したように、確実性と完全性が重視されたものであると同時に、その枠の内側に人の行動の自由を制限するものとなった。

 一方、アフリカについては次のように言及している。「モノの機能面での個性は、私たちとモノとの相互作用による産物で、私たちの個性は、モノ以外のすべてとの相互作用による産物だ。これはアニミズムの基本原理で、私たちよりもかなり“原始的”な文化の多くが、この考えを当然のように受け止めている。私がアフリカを受け入れる理由は、異国への郷愁や憧れではない。学ぶべきアイデアがたくさんあるということなんだ」。

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