コロナ禍で制作した1本のMVで人生が激変 映像作家とバンドマンを両立する涌井 嶺に聞く、特異なキャリアの“転機”

“映像作家とバンドマン”を両立する活動論

 ミュージックビデオの祭典である『MTV Video Music Awards』。その2023年度のアワードで、「Best Visual Effects」に選ばれたのが、Mrs.GREEN APPLEの「ケセラセラ」だ。

 同MVでVFX Directorを務めたのがVeAbleの涌井 嶺。ロックバンド「THE SIXTH LIE」のドラマーRayとしてもTVアニメ『ゴールデンカムイ』第一期・三期のエンディングテーマを担当するなど、映像作家・バンドマンの両面で活躍する稀有なキャリアを持つ存在だ。

 今回はそんな涌井に、ここまでのキャリアや映像作家・ディレクターとしての創作論などについてインタビューを行った。

【プロフィール】
涌井 嶺 Ray Wakui 

映像ディレクター / VFXアーティスト。東京都出身。東京大学、同大学院卒業。在学中は航空宇宙工学を学ぶ。 大学時代に結成したバンドのMVを自主制作したのがきっかけで映像制作を始める。

2021年春、制作期間1年半を経て、人物以外を全て3DCGで制作した、 実写合成MV「Everything Lost」を公開。 撮影以外の工程をたった一人で作り上げた本作は、様々なメディアで取り上げられ話題作 となり、VFX-JAPANアワード2022「CM・プロモーションビデオ部門」にて優秀賞を 受賞した。

その後は、実写合成をメインとしたVFXの技術を活かし、Mrs. GREEN APPLEや倖田來未、ずっと真夜中でいいのに。をはじめとする さまざまなアーティストのMVでVFXやディレクションを手がける。 さらに、「たまごっち」のTVCMや「伊右衛門」「TOYOTA」のWebCMなど、 幅広いプロジェクトで活動中。

また最近ではVFX Directionを担当したMrs. GREEN APPLE「ケセラセラ」が MTV Video Music Awards 2023「Best Visual Effects」賞を受賞した。

手探りで始めたCGで1年半をかけて作った「Everything Lost」

涌井 嶺
涌井 嶺

ーーまずは涌井さんのキャリアを伺っていきたいと思います。自身がドラムを担当するロックバンド・THE SIXTH LIEはどのように結成されたんですか?

涌井:ギターのReijiと僕が趣味でメタルバンドを結成したのが始まりです。意外にもかっこいい音楽が作れることがわかったのでボーカルを探し、ボーカルのArataが加入したあとから活動を本格化させました。

ーー初期の頃からMVをご自身で制作されていますよね。

涌井:ライブをたくさんやるよりも、MVなどのコンテンツをきちんと作って、インターネットに上げていくのが当時の活動方針だったんです。MVはスタジオを借りて、カメラマンさんを呼んで、MV撮影をして、映像編集をしていた大学の先輩に『After Effects』を教わって制作しました。

ーーそこから実写のMVを作っていって、バンドも人気アニメの主題歌を歌うなど、バンドマンとしてもクリエイターとしても順調な滑り出しを切りました。制作手法については、2019年に3DCGを使い始めているんですよね。この理由を伺いたいのですが……。

涌井:『After Effects』のElement 3Dというプラグインで3DCGが扱えたこともあり、少しずつ触っていたのですが、このタイミングで本格的に始めることにしたんです。

ーー3DCGを学ぶとそちらに一気に舵を切る人もいる中で、VFX(実写合成)にこだわる理由は?

涌井:CGは楽しくて好きなんですが、できることなら本当はすべて実写で作りたいんですよ。実写とCGを組み合わせて「こんなに派手になるんだ!」というものを生み出せるのが楽しいんですよね。

ーーそれくらいVFXへの熱意がないと、「Everything Lost」のように長い期間をかけて仕上げることはなかなか難しいですよね。

涌井:最初のCG作品として、「Everything Lost」があったのはとても良かったと思っています。自分のバンドの仕事だったので、最後まで仕上げる必要はありつつも、明確な納期がないから自分が満足いくまでやらせてもらえたんです。結局1年半かかってやっと完成しました。

THE SIXTH LIE「Everything Lost」【OFFICIAL MUSIC VIDEO】

ーーコロナ禍に入るタイミングだったこともあり、制作に集中しやすかったこともあったのでしょうか。

涌井:それもありますね。CGソフトは結構高額なものが多くて、始めるにはハードルが高かったんですが、無料ソフトのBlenderがコロナ禍の直前にバージョン2.8にアップデートされたタイミングで、第一次Blenderブームのようなものがちょうど起こったんです。チュートリアルを見ていても「ここまで色々できるのか」というくらい充実していたので、これなら大丈夫だと思って始めました。

ーー実際に触ってみて苦戦したポイントはありますか?

涌井:独学だったので、根本的なことを理解するまでに苦労しました。たとえばレンダリングエンジンにも「Eevee」と「Cycles」があることも知らなくて。デフォルト設定だと「Eevee」になっているんですが、それを「Cycles」に切り替えたら、リアルなものを作るのが一気に楽になりました。

ーー「Cycles」だと、書き出しに時間がかかりませんか?

涌井:最初の頃は結構かかりましたね。「Everything Lost」のときはシーンの作り方がいまよりは全然下手だったし、パソコンの性能も良くなかったので……一晩くらいはかかっていて、夜寝る前にレンダリングをかけておくのが日課でした。

ーー地道にコツコツ作っていた「Every]thing Lost」のMVが公開されたときの反響はいかがでしたか。

涌井:このMVがきっかけで、実写合成の仕事が急に増えました。CGの案件で入ると監督さんが知っていてくれたり、監督さんから指名をいただけることもあったりして嬉しかったです。さらに勉強するようになって、最近では大きい案件のCG対応もできるようになりました。

ーーそういえば、「Everything Lost」の制作過程をYouTubeに公開していましたよね。

涌井:いろんな人に見てもらえましたし、CG関係の人にフォローされたりもしたので、この人たちに変なものを見せられないなと思っていました。「Everything Lost」は初めてのCG制作でしたし、例えば撮影の時にもボーカルのArataが穴の中に落ちていくシーンでは台の上に寝そべって、のたうち回らせて撮ったりしていたので、メンバーに「本当にこれで大丈夫か?」と心配されていたこともあり、メンバーにも見せられるクオリティになるまでコツコツ作業していました。

Blender x Green Screen M/V【Before / After】

ーーそこを突き詰めることができるのは才能ですね。

涌井:自分ではあまり努力してるとは感じていなくて、単純にうまくいかないところを修正したりするのが好きでした。当時作ったものをいま見ると「稚拙だな」と思いますけどね。最近は、基準値も上がってきたので、もっといいものを作ってさらに基準値を上げていかないと、おもしろくなくなるなと思っています。実写合成とCGとをなじませるノウハウがわかってきて、自分が思うラインを越えなくなってきたんですよ。

ーー基準値を上げるというのは、具体的にいうと?

涌井:撮影の仕方から考えることですね。CGと実写をより馴染ませるには、衣装と背景、アングルなどトータルでディレクションする必要があるので、そこに着手しようと思っています。

ーーなるほど。以前と比べると、現在は作業環境が整っているように思いますが、機材はどのように揃えたんですか?

涌井:最初はゲーミングPCを使っていて、グラフィックボードも「RTX 2060」くらいでした。「Everything Lost」を作ってからはPCレビューのお仕事がいただけるようになり、そこで得た知識をもとに揃えました。

 iMacだけは2015年からずっとAdobeを触るのに使っています。いろいろプラグインを継ぎ足しすぎちゃって、移行するのが面倒くさいからなんですけど。CGはSENSE∞(センスインフィニティ)のクリエイター向けPCで制作しています。グラボは「RTX 3080」かな。

涌井が使用しているSENSE∞(センスインフィニティ)のクリエイター向けPC
涌井が使用しているSENSE∞(センスインフィニティ)のクリエイター向けPC

ーー機材を揃えるうえでのこだわりはありますか?

涌井:そこまで高いものは使っていないですし、機材オタクと言えるほどは詳しくないですね。ただ業務のオペレーションにはこだわっています。この2つのPCはDropboxで繋がっていて、Windowsでシーンを作ってレンダリングして、それが終わると連番で上がってきた絵がDropboxにアップされるので、それをiMacでコンポジットするといった業務フローが出来上がっています。

新しい映像表現を目指すアーティスト集団「VeAble」

ーークレジットを見ていると、ディレクター、VFXスーパーバイザー、VFXアーティストなど、いろんな立ち位置で携わられていますね。ご自身としては、1つのスキルを突き詰めたいか、いろんな立ち位置を楽しみたいか、どちらが強いですか?

涌井:元々はディレクションがしたかったので、基本的にはディレクションの仕事をするのが一番好きです。ただいろいろやれることは、いい気分転換になりますね。ずっとCGを触っていて疲れたら企画を考えたりとか、ずっと企画を考えていて大変なときは編集を進めたりとか。

ーー映像作家として表に出る際は、「涌井 嶺」名義で活動されていますよね。バンドでの活動時の「Ray」とは人格を分けているイメージなのか、それともお仕事をしていくうちに、映像作家としてのアイデンティティがより強くなっていったのか、どちらでしょうか?

涌井:それでいうと後者ですね。バンドにしても、元々ドラムがやりたかったわけではなく、曲が書ける人がいたから、自分はグラフィックなどのクリエイティブでサポートできたらいいなと思って始めたので。本来やりたかったことをよりしっかりお仕事としてできるようになりました。

ーー映像作家として実績を積んでいく中で、VFXアーティスト集団である「VeAble」を立ち上げたきっかけは?

涌井:受けたい仕事があっても手が足りなくなってきたのが理由のひとつですね。加えて、自分が影響を受けたK-POPのMVのように、見たことがない新しい映像表現をどんどん生み出すためには、お金もスタッフも必要なんですよね。なんとかこのグリーンバックの技術と絡めて、そういう豪華さを表現できないかと考えていて、その思いに共感してくれたファウンダーのMONAと一緒に「VeAble」を立ち上げました。

ーー1人で制作するのとは規模感が大きく違うと思いますが、印象に残っていることはありますか?

涌井:CMのお仕事を受けるようになった最初の頃は、お金や時間のかけ方のスケールが大きいことに驚きましたね。あとは合成部さんの存在を初めて知りました。現場がバタバタしてる中で、綺麗なグリーンバックをもってきてくれたり、欲しいところにマーカーをぱっと貼ってくれたりするのですごく助かります。

ーー今後VeAbleの規模感はより大きくなっていくのでしょうか?

涌井:「VeAble」は少人数で制作するほうが向いているので、大幅に増やしたいとは思っていません。ただプロダクションマネージャーは必要ですね。現在はほとんどの案件管理を、僕がやっている状態なので。あとはデザイナーかな。たとえばMVの背景に使用する看板やロゴなどの素材とか、実写MVにのせるグラフィックをデザインできる人がいたらいいなと思っています。

ーー今後さらにそのあたりをカバーできるデザイナーさんの需要が増えそうですね。いろんなお仕事を経験されて、「Everything Lost」のときと現状とで、目指す方向性や目標などに変化はありましたか?

涌井:当時はただただ「Everything Lost」を完成させる気持ちでいたので、明確な目標があったわけじゃなかったんです。いまも自分が好きだと思える映像が自分で作れたら嬉しいな、ぐらいの気持ちです。もちろん“韓国のMVに負けない映像を作る”という目標はチームとして持っているので、そのためにやることはたくさんありますけど、結局は自分で作った映像を自分で見てニヤニヤしてるときが一番楽しいですね(笑)。

ーー最近見たMVやライブ演出等のクリエイティブの中で、影響を受けたものはありますか?

涌井:最近衝撃を受けたのはXGの「TGIF」と「GRL GVNG」ですね。日本のアーティストですが、クリエイティブは韓国で制作されています。カット単位でアートディレクションされているので、すごく尖った表現なのにきちんとまとまっている。あれを見たときは衝撃でした。韓国のクリエイティブはトランジション(カットとカットの間を繋ぐエフェクト)が面白いものが多いです。いまだと数秒で動画が飛ばされることも多いので、トランジションでサビぐらいまで繋げることで、目を引くようにしているんでしょうね。

XG - TGIF (Official Music Video)

ーーMVや歌番組、ライブにしても、韓国のクリエイティブはトランジションやカメラワークがとにかく面白いですよね。最近のご自身のお仕事で手応えがあったものはありますか?

涌井:昨年、K-POPメンズグループのxikers(サイカース)のMVに携われたことがすごく刺激的でした。僕が一番好きなDigipedi(ディジペディ)というプロダクションの人たちと、日本の監督の共同ディレクションで制作された作品なんです。まさにやりたかった韓国のトランジションや、実写にCGをのせる表現が近くで見られて勉強になりました。

xikers(싸이커스) - 'ROCKSTAR' Official MV

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