LACCO TOWERが日本語詞で歌い続ける理由「『言わずもがな』っていうのがすごく大事」

LACCO TOWERが日本語で歌い続ける理由

 昨年6月にアルバム『非幸福論』でメジャー・デビューし、そのどこか懐かしさすら感じさせる叙情的なメロディ、ピアノを擁するドラマチックなバンドアンサンブルで今の時代に新鮮な一撃を打ち込んだLACCO TOWER。特にメロディに乗る歌謡曲全盛期の作詞家然とした松川ケイスケ(Vo.)による、焦燥や美しいものを希求する気持ちを昇華した日本語詞はこのバンドならではの魅力だ。今回はメジャー1stシングルとして話題を呼んだ「薄紅」も収録した2ndアルバム『心臓文庫』について、そして日本語へのこだわりなどを松川ケイスケと塩崎啓示(Ba.)に聞いた。(石角友香)

「常に不安でギリギリでヒリヒリのところにいる」(松川)

――いきなりですが、松川さんが、古今東西の名言をテーマにして更新しているブログ『keisuke's Column』のクオリティがすごくて。松川さんにとって、ものを書く行為って必要不可欠なものなんですか?

松川ケイスケ(以下、松川):小さい頃から文学少年というわけではなくて、どこにでもいる目立ちたがり屋という経緯からバンドを始めて、それをわずらわせて東京まで出てきて、バンドを組んでこの歳に至るんですけど(笑)。自分の中ではマイノリティ意識があるんです。

――どういう部分で?

松川:ずっとピアノを習ってたとかそういうことでもなく、楽器が好きなわけでもなければ、音楽にすごく興味があったわけでもない(苦笑)。そんな中、バンド活動をしてきて行き詰まった時に、自分を変えたくて、自分の中で一番苦手な“本を読む”ということをやってみようと思い立って、ドストエフスキーの『罪と罰』を読んだんです。絶対このきっかけじゃないと読むことはないだろうなという本をあえて読んでみたんですが、いざ読み終わると達成感があって。そこから歌詞の書き方や文章に対する考え方が変わってきました。今回の作品も歌詞にする前に、全部短編小説を書いているんです。

――そこまでやるんですね。

松川:さっきの「書くという行為」が何なのか? に対する答えとしては、みんながギターやベースで表現することが、僕にとっては書くということに寄っているのかもしれません。

――ドストエフスキーを読破したのはいつ頃ですか?

松川:10年ぐらい前で、LACCO TOWERが3、4年目ぐらいの時です。環境の変化やメンバーチェンジもあって、バンドがいい方向に行くか行かないか揺れていた時期ですね。

――それ以降、歌詞の書き方はどう変わりましたか?

松川:本を読んでみて、歌詞を書くっていう作業に入ってみると、他の人の歌詞を見たときになんかすごく上澄みな気がして、その時の僕にはありきたりな言葉が並んでるようにしか見えなくて、そこに対して「だったら俺はこうしてやるよ」という反骨心が生まれてきたんです(笑)

――ギターロックやメロディック全盛の頃ですか?

塩崎啓示(以下、塩崎):そうですね。バンドがすごく多かった頃ですね。

松川:あとはタオルがよく回ってた時期ですね(笑)。

――(笑)。そこから始まって、今回のメジャー2ndアルバムの歌詞でもそのメンタリティは続いているようですね。

松川:僕はホント、常に不安でギリギリでヒリヒリのところにいるというか(笑)。表面上はいくらでも明るく努められますし、関西人なんで面白い会話はもちろん好きですけど、表現ってところにおいてはずっとギリギリなんですよね。常に誰かに負けてる気がするし、誰かに勝たなきゃいけない気がするし、常に誰かに勝ってる気もするし。端っこに立ってて、少し突かれたら、いとも簡単に落ちてしまいそうな状態というか。

――日常的に追い詰められてるんですか?

松川:はい。今日も「いつこのビルが壊れるんじゃないか」と不安でしょうがないですし(笑)。来る途中も伊勢志摩サミットの影響でごみ箱が封鎖されていて、おにぎり食べたあとのゴミをずっと捨てれなかったので、たくさんいる警備員さんに見られながら「これ爆弾やと思われてるんやろうか」とか。

――想像とか妄想が広がっていく?

松川:そうですね。途中で止めようと思うんですけど、ひどい時は「家、出ないほうがええ」ぐらいまで発展する時がありますね。最近、忙しすぎて「俺がもっと頑張らないとみんな死んでしまう」と思い込んで危なかった時期がありました(笑)。ほんと言い続けるとキリがないんですよ(笑)。

――バンドのフロントマンとしてはかなりシリアスな問題のような。

松川:そういう自分を覆い隠すようにライブもやってますし、自分に言い聞かせるように「明日は大丈夫だよ、きっと」って言うんです。あれ、みんなに言ってるというか、自分に言ってるというか(笑)。「大丈夫やんな」という確認でもあるんです。

――バンド始めた時は自信満々だったのに?

松川:最初はそうでしたね。メンバーもおそらくそれぞれに変化したと思うんですが、こんな僕をメンバーが理解してくれたうえで、表現に寄り添ってくれてできたのが、今のLACCO TOWERが持つアイデンティティだと思うんですよね。

――ところで楽曲のクレジットはバンド名義ですが、制作の際はセッションで作っていくのでしょうか?

塩崎:基本、鍵盤の真一ジェットです。彼が入った7、8年前から徐々にそうなってきたのですが、打ち込みで「大体こういうリズムパターン」「大体こういうメロディ、こういうコード進行」という風に決めておけば、とあるきっかけで全員がそれぞれアレンジまでできるようになるという。真一ジェットは幼少期からピアノをやってた人間なので、彼の楽曲が僕らの色になってるんだと思いますね。

――ドラマチックな部分やスケール感にX JAPAN的なものも感じます。

塩崎:あ、ほんとですか? 初めて買ったバンドスコアはX JAPANで、ルーツのひとつといえる音楽ですね。

松川:僕は「ソングコング」どまりでした。

塩崎:あったねぇ(笑)。あと、B’zを自転車漕ぎながら学校帰りに歌ったり、LUNA SEA、GLAY 、LArc-en-Cielとかをコピーしたり。

――90年代J-ロックの王道ですね。

塩崎:あとBOØWYが地元の先輩で。ドンピシャなのは俺らよりもうすこし上の世代で、ギターをかじってるやつはみんな「Marionette」のイントロが弾けて当たり前みたいな。

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