東京発信のオルタナティヴ・ロック、THIS IS JAPANのダイナミズムと新しさ

シーンに切り込むTHIS IS JAPANの覚悟

 オルタナは、地方で生き続けるのだと思っていた。戻るべき場所に戻っていくのだと。

 音楽シーンの主流はいつだって都会にある。正確にいえば、仕掛けるレコード会社が都市にあり、その道で輝きたいと願う者たちが全国から集まってくるわけだが。そして、そういう大きな成功に興味がない、売れ線のルールに則りたくない、好き勝手やるほうが全然いいという人たちが独立独歩で奏でる音楽を「主流に対する傍流=オルタナティヴ」と呼んだわけだ。

 そこに光が当たったのは90年代。筆頭株はニルヴァーナだが、彼らがシアトル出身だったことも重要だ。N.YでもL.Aでもない地方都市で生まれ、都会を目指そうともしなかった若者たちの音が、時代の偶然により一気に脚光を浴びた。彼らをパンクだと絶賛する声に対し、N.Yのラモーンズが「シアトルなんかにパンクがあるわけがない!」と怒ったというのは興味深い話だ。時代を変えるムーヴメントはいつだって都市から発信されていたのだから。

 だが90年代は地方のオルタナティヴが音楽業界の常識をひっくり返した。奇跡みたいな出来事だ。シアトルのニルヴァーナに始まり、ワシントンD.C.のフガジまでが注目されたように、日本でも、北海道のブッチャーズやeastern youth、京都のくるり、福岡のナンバーガールなどが脚光を浴び始める。特にナンバーガールは鮮烈だった。すでにオルタナが「売れないもの」ではなくなった時期であり、メジャーのレコード会社も全力でプッシュ。堂々とロックのメインストリームに切り込んで行けた。今では珍しくも何ともないが、「フロントマンが眼鏡」で「誰もオシャレしていない普段着」というビジュアルは、当時、相当なインパクトを放っていたのだった。

 ただ、やはり奇跡は続かない。00年代に登場したlostageやOGRE YOU ASSHOLEなどが、一時期はメジャー進出したものの、地元に定住という選択をし、結局メジャーの世界から離れて自由な活動をしているのも、オルタナ自体がもう「売れるもの」ではなくなっていた証拠だろう。残念だと思う反面、本来そういうものだと納得する自分もいる。今は苫小牧にNot Wonkがいて、大阪には空きっ腹に酒などがいる。みんな自由で楽しそうで、ショービズなんて関係なし。それが本来このシーンのあるべき姿なのだろう。

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