荏開津広が日本のヒップホップ/ラップ史を紐解く新連載 第1回:ロックの終わりとラップの始まり

“ジミーは映画を観ても悪役に声援を送るような奴なんだ”ーージミー・コンウェイについて、ヘンリー・ヒル(映画『グッドフェローズ』より)

 2013年、さる有名な作家/大学教授が「はっきり言って、日本語ラップってださいでしょう」と、ある文藝雑誌の座談会ではっきり言った。自らもラッパー/作家のいとうせいこうがこの発言についてTwitterで呟いたので波紋を呼び、日本を代表するロック・ミュージシャンの1人、ASIAN KUNG-FU GENERATIONのGotchがそれに「分かってないですね。日本語ラップ格好良いと思います」と重ねたけれどーーその座談会では若手の気鋭文芸評論家/大学准教授がこうも嘲笑っていた。「そもそも日本のラップって何なんでしょうね(笑)」

 翌年には、有名なアスリートが「悲しいかな、どんなに頑張っても日本で生まれ育った人がヒップホップをやるとどこか違和感がある」とSNSでコメントした。このアスリートはジャズと比較してヒップホップに違和感を感じたようで、RHYMESTERの宇多丸は「いろいろなのがいるので聞いてください」と応えた。

 2010年代になっても、日本におけるヒップホップ/日本語ラップは軽視され続けている。1970年代半ばにニューヨークはサウス・ブロンクスで生まれ形成されていったヒップホップが日本に紹介されたのは1980年代始めで、もう少しで35年にもなろうとしているのに。音楽の専門家たちの意見はどうだろう?

 2015年の夏、日本で最も長く続いている音楽雑誌『ミュージック・マガジン』誌上で25人のポピュラー音楽の専門家たちが選んだ「2010年代の邦楽アルバム・ベスト100」が発表された。ラップを取り入れたアーティストを数にいれても、33位の(((さらうんど)))、58位SIMI LAB、65位Moe and ghosts、74位水曜日のカンパネラ、78位やけのはら、85位KOHH、そして99位にTHA BLUE HERBがランクインしたのみ。tofubeatsの2枚のアルバムは選ばれていたが、彼はヒップホップのみのアーティスト/トラック・メイカーではない。

 『ミュージック・マガジン』という雑誌は伝統的にヒップホップ/ラップに辛いといってもいいのだろうか。この雑誌を創刊した音楽評論家、尊敬されるべき以上の功績を遺していった故・中村とうようは、ラップ/ヒップホップをこきおろしたことでも多くの人の記憶に残っている。つまり、ヒップホップの世界に公民権運動が残していった言説の文脈を持ち込んだグループ、Public Enemy、そのファーストとセカンド・アルバムについて「こんなものを面白がっていては黒人音楽の衰亡は加速され、とりかえしのつかぬ破滅を来す。まさにラップは黒人民族の敵だ」(1987年)、「ラップもラスタも、政治音痴の黒人達が自分の無知にイラ立って上げてる金切り声だ(中略)/それにしてもこいつらもリズム感が悪いねえ」と書き、採点制のアルバム・レビュー欄で0点をつけた。

 中村はアメリカの最初の黄金期のヒップホップを、著名な作家や気鋭の文芸評論家は最盛期を迎えているヒップホップ/日本語ラップをそれぞれ切り捨てた。そして、中村の死の4年後、彼が創刊したこの国を代表するポピュラー音楽雑誌で、25人の音楽評論家は5年間に渡る100枚の作品を選ぶ際、日本語ラップはそのうち7枚に値する、とした。中村とうようをここに引きずり出したのは、彼のつけた0点ーー自らの音楽観を規範として感じた、ブラック・ミュージックの変容に対する猛烈な違和感の表明ーーが、年老いた音楽評論家が時代に追いつけなくなったと単純化され、不問のままであるらしいからである。

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