BOYS END SWING GIRL、デビューまでの軌跡「僕たちは『フォーエバーヤング』に救われた」

BESGが語る、メジャーデビューまでの軌跡

 『EXシアターTV』(テレビ朝日系)主催の企画「ROAD TO EX 2017」にてライブイベントに勝ち抜き、初代チャンピオンとなった千葉県成田市出身の4人組、BOYS END SWING GIRLがメジャーデビューアルバム『FOREVER YOUNG』をリリースする。

 インディーズ時代の代表曲をあえてタイトルに冠し、音楽やファンへの変わらぬ真摯な思いを込めた本作は、卓越した4人のバンドアンサンブルを基軸としつつも、ストリングスセクションの大々的な導入や、エレクトロミュージックとの融合、さらにはピアノとバイオリンのみで構成された楽曲など、非常にバラエティに富んだ内容となっている。スピッツやMr.Children、Oasisなどに影響された、冨塚大地(Vo/Gt)のソングライティング能力にも大きな進歩を感じさせる仕上がりだ。

 デビュー前、一度は活動休止になりながらも、そこから復活して快進撃を続けるようになるまでには、一体どのような葛藤があったのだろうか。メンバー全員に、結成の経緯から現在までをたっぷりと語ってもらった。(黒田隆憲)

「限界集落にも届くような音楽をやりたい」

ーー冨塚さんと白澤(直人/Ba)さんの出会いが、初期BOYS END SWING GIRLの始まりだそうですね?

冨塚大地(以下、冨塚):はい。僕と白澤は小学校1年生の時から一緒で、サッカーも同じチームに入っていたんです。中学校は別々だったんですけど、高校で再会して。その時も同じサッカー部だったんですが、中学生の時に僕も白澤もギターをやってたので「バンド組みたいね」ってなって、それで声をかけて結成しました。

ーーサッカー部でバンドを組むって珍しいですね。冨塚さんがギターを好きになったのは、どんなきっかけだったのですか?

冨塚:実はずっとサッカー選手になりたくて、頑張ればプロになれるかもしれないっていうくらい、練習してたんですよ。でも中2の時、Jリーグの中学生チームにものすごい大差で負けてしまって。「こんな天才たちがいるなら無理だ」と思って、そこでサッカー選手になるのを諦めてしまったんです。それまでずっとサッカー一筋だったから、もう何もやる気が起きなくなってしまい、学校生活も上手くいかなくなっちゃったんですよね。だんだん不登校気味になり、家族には学校へ行くふりをして公園で音楽を聞く日々、みたいな。

 その頃は、BUMP OF CHICKENが好きでよく聴いていたんですが、中2の終わりくらいに母親がバンプのライブに連れて行ってくれて、そこでものすごい衝撃を受けたんです。「この会場の景色をステージから見たい!」って。その次の日から、「音楽でプロになろう」という気持ちでずっとやってきました。

冨塚大地

ーー白澤さんは、ギターを始めて1週間も経ってないときに、SMAPの「夜空ノムコウ」を完璧に耳コピしたって本当ですか?

白澤直人(以下、白澤):はい(笑)。全然コードとか知らなかったんですけど、なんとなく出来てしまって。アコギから入ったのですが、もともと『20世紀少年』という漫画を読んでて、そこにThe BeatlesやThe Rolling Stonesなどが引用されているのを見て、「弾きたい」と思ったのがきっかけでした。で、冨塚と再会した時に「ギターが弾けるなら、ベースも弾けるだろ?」みたいな感じでそそのかされて(笑)、そこからベースをやることになったんです。

ーー二人を中心に、バンドが始まったのですね。

冨塚:僕がMTRで作った音源を白澤に聴かせて、「こんなことやっててさ。俺、マジで才能あると思うから一緒にやろうぜ」みたいな感じで始まったんです(笑)。その頃からオリジナル志向ではあったんですが、ライブハウスではコピーバンドの方がウケもいいだろうと思い、LUNKHEADやくるりをコピーしていました。

ーー後にメンバーとなったのが鍔本(隼)さんと飯村(昇平)さんですが、二人はどんなきっかけで音楽を始めたのですか?

鍔本隼(以下、鍔本):僕は斉藤和義やスピッツ、YUIあたりをお父さんが聴いていて、子供の頃から音楽は好きだったんですよね。で、高校に入って冨塚と出会って意気投合して、そこから本格的に聴くようになりました。ギターを始めたのもその頃からですね。

飯村昇平(以下、飯村):僕は、高校で軽音楽部に入ったのが楽器を始めるきっかけでした。ドラマーは、特になりたいというよりは成り行きに任せて……という感じだったんです。大学もそのまま軽音サークルに入って、白澤と出会ってこのバンドに入ったんですが、今思うと兄貴も父親も楽器をやっているし、血の繋がりってあるんだなと思いますね(笑)。

飯村昇平

ーーバンド結成時にサウンドのコンセプトなどはありましたか?

冨塚:最初の頃は、BUMP OF CHICKENとLUNKHEADがお手本でした。鍔本にもそれでレスポールを買うように頼んだんですよ(笑)。でも、あるきっかけがあって「『紅白』に出たい」と思うようになったんです。それで「『紅白』に出たバンドといえば、Mr.Childrenやスピッツだな、家でもずっとお母さんが流していたし」ってなって(笑)。そこからそういう要素も取り入れてみようと思いました。青春時代に聴いていたロックと、それよりもっと前の幼少期に聴いていたポップスを混ぜて、その中間のような音楽にしたいなと。

ーー『NHK紅白歌合戦』に出たいと思った「あるきっかけ」というのは?

冨塚:曾おばあちゃんの家が、天津小湊という千葉の限界集落にあって。ケータイなんて誰も持っていないような田舎なんですよ。それこそ普通にイノシシが歩いているような場所なんですけど(笑)、それでも『紅白』は観ているんですよね。だったら、そこにも届くような音楽をやりたいなと。

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