真心ブラザーズ「サマーヌード」はなぜカバーされ続けるのか 歌詞とメロディから魅力を分析

 今年デビュー30周年を迎える真心ブラザーズが、8月30日放送の『ミュージックステーション』(テレビ朝日系)へ22年ぶりに出演し、不朽の名曲「サマーヌード」を披露する。もはや夏の風物詩となり、夏フェスの現場をしばしばピースフルに彩るこのナンバーは、クラムボン、土岐麻子、bird、山下智久(同曲をモチーフとした自身主演のフジテレビ系月9ドラマ『SUMMER NUDE』の主題歌)といった多くのアーティストにカバーされてきた。

真心ブラザーズ『ENDLESS SUMMER NUDE』

 他にも、℃-uteの矢島舞美&鈴木愛理(℃-uteは2017年に解散)、ぼくのりりっくのぼうよみがライブでカバーしたり、夢みるアドレセンスが「ENDLESS SUMMER NUDE」(真心ブラザーズによる「サマーヌード」のセルフカバー)をサンプリングして新たなメロディを乗せた「サマーヌード・アドレセンス」を発表したりと、世代やジャンルを問わずに幅広い支持を獲得している。そんなサマーアンセムのリリースは1995年。24年前となると、初めて耳にしたのがオリジナルバージョンではないリスナーもおそらく多い。ということで、真心ブラザーズの「サマーヌード」は、なぜカバーされ続けるのか? その魅力にあらためて迫ってみたい。

 オリジナルの「サマーヌード」は、まずシンプルなピアノが基調の15秒ほどのイントロを抜けて、歌がスッと入ってくる。この無駄のなさ、しなやかな展開には、ついうっとりしてしまう方も多いのではないだろうか。描かれるのは、“僕”の目に映る“君”を中心とした儚い情景の数々。一歩引いた視点が歌詞に存在し、飄々と歌われるためか、YO-KINGのボーカルには思い出のアルバムをめくっては、いつかの写真を一枚一枚眺めるような愛おしさが感じられ、聴き手の脳内は次第にセピア色へと染まっていく(※現に2番のサビでは〈僕はただ 君と二人で通りすぎる/その全てを見届けよう/この目のフィルムに焼こう〉と歌っている)。

真心ブラザーズ 『サマーヌード』

 徐々に熱を帯びていき、両手を広げたようなオープンなサビが訪れる瞬間は、夏の高まりと鮮やかにリンクしていてこの上なく心地いい! ……のだが、昔の恋人を忘れられずにいる“君”のリアクションによって、“僕”の中で甘酸っぱさと切なさが混然一体となる。ただハッピーなだけではない、わかりやすくフラれたわけではない、美しくもやるせないこの複雑な思いの共存こそが、「サマーヌード」に唯一無比の輝きをもたらしている。2人のすれ違いに悔しさを滲ませながら、それでもなお“君”を愛そうとする“僕”。情熱と衝動と焦燥が入り混じったその叫び、張り上げて歌うYO-KINGの声には、どうにもこうにも感情移入せざるを得ない。

 そうした複雑な心持ちをはじめ、〈最後の花火が消えた瞬間/浜には二人だけだからって/波打ち際に走る〉に滲むちょっぴり悪いことをしているワクワク感、“君”の何気ない仕草のひとつひとつ……ともすれば、記憶から消え去ってしまうひと夏の恋愛模様のすべてを色褪せないよう焼き付ける。それらを曲の中に真空パックすることに成功したのが「サマーヌード」なのだと思う。こんなふうに深く考察、想像させてくれる知性的な歌詞ももちろん素晴らしい。

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