デスマッチファイター葛西純が明かす、少年時代に見たプロレスの衝撃 自伝『狂猿』連載第1回

デスマッチファイター葛西純自伝連載第1回

デスマッチファイター葛西純 自伝『狂猿』

 様々な団体、レスラーが活躍し、根強い人気を誇るプロレス。そのプロレスのなかでも、さらにディープなカテゴリーが「デスマッチ」だ。蛍光灯で殴り合い、頭から画鋲を浴び、カミソリボードの上で受け身を取る。全身を血で真っ赤に染めながらも闘い続ける壮絶な試合は、観客の心を揺さぶり、生命力さえも感じさせる「究極のエンタテイメント」となる。

 葛西純は、プロレスラーのなかでも、ごく一部の選手しか足を踏み入れないデスマッチの世界で「カリスマ」と呼ばれている選手だ。20年以上のキャリアの中で、さまざまな形式のデスマッチを行い、数々の伝説を打ち立ててきた。もちろん通常のプロレスルールでも超一流で、いつ、どこのリングにあがっても観客を魅了する姿は、日本だけでなく、世界中のレスラーからリスペクトを集め、音楽業界など、他ジャンルのアーティストにも熱狂的ファンが数多く存在する。

 その激闘の歴史は、観客の脳裏と「マット界で最も傷だらけ」といわれる背中に刻まれている。葛西純は、クレイジーモンキー【狂猿】の異名を持つ。この名の通り、狂った試合形式、試合内容で世界中を席巻しているのだが、狂っているのは葛西だけではない。対戦相手は狂乱し、観客を熱狂させ、その試合に関わった者たちすべての人生を狂わせていく。

 男はなぜ、自らの体に傷を刻み込みながら、闘い続けるのか。そのすべてが葛西純本人の口から語られる、衝撃的自伝ストーリー。(月2回更新予定)

内気な少年時代とプロレスとの出会い

 俺っちは、北海道の帯広というところで生まれ育った。両親と2歳年上の姉のいる4人家族で、平凡といえば平凡な、どこにでもあるような家庭だ。帯広は田舎で何もなかったけど、俺っちは1974年生まれで、子供の数だけは多かった。近所には同じくらいの歳の子供がたくさんいて、俺っちが幼稚園ぐらいの時は、そいつら子分のように集めて遊んでいた。

 漫画やテレビはその頃からよく見ていた。ウルトラマンとか、仮面ライダー、戦隊モノも好きだった。ただ、その頃からヒーローよりも、なぜか怪獣とか怪人のほうに興味を持っていた。漫画もオカルトとか怪奇系のものとかをよく読んでたし、昔から不気味なものにちょっと惹かれる傾向はあったね。

 あとは、絵が好きだったから、もう暇さえあればずっと絵を描いていた。新聞に入ってくる広告の裏が白いやつを取っておいて、そこに似顔絵とか、オリジナルの怪人を思うままに描いてた。じいちゃんとばあちゃんが、離れてところに住んでたんだけど、「純は絵が好きだから」って、裏が白い新聞広告をいっぱい溜めておいてくれて、会いにきたときにごっそりくれたりして、それでも足りなくなるくらい絵は描いてたね。

 自分でも変わってるなって思うのは、隠れて女性の裸体も描いてことだよね。うちの親父がエロ本をタンスの裏に隠していて、それを姉と見つけてふたりでこっそり見ていた影響もあって、そのエロ本を参考に女性の裸体の絵も描いていた。これもまったくイヤらしい気持ちはなかったんだけど、子供ながらにこういうものを描いちゃいけないんだろうなっていう意識はあった。だから、そういう絵は、親に見られないように電話が置いてあった台の下にずっと隠してたんだよ。

 これはいまも鮮明に覚えてるんだけど、その日は幼稚園が休みかなにかで、俺っちは家で昼寝をしていた。そうしたら、ウチの母ちゃんが誰かと電話をしてる声が聴こえてきて、「うちの純が、女の裸の絵を描いて電話台の下にずっと溜めてるんだけど、このコおかしいんじゃないのかな」って相談をしてるわけだよ。それを寝たふりしながら聞いてて、『まずいな。バレてんな』って思いながら、俺っちはおかしいのかなって自問自答したこともあったね。

 その頃、誰かの誕生日か何かで親戚同士が集まって、宴会をするみたいなことがあった。大人たちはお酒を飲みながらワイワイやってるんだけど、その時に、たまたまテレビでアントニオ猪木VS上田馬之助のネイルデスマッチ(1978年2月8日 日本武道館)をやっていた。

 リング下に設置された釘板に落ちる、落ちないっていう試合を観ながら、親戚のおじさんたちがああでもねぇこうでもねぇって大興奮しながらすげぇ盛り上がってるわけだよ。それが自分の記憶のなかにある、1番最初に『プロレス』っていうものを知った瞬間だね。

 いま思うと、猪木さんがデスマッチをやること自体が珍しいことだし、試合形式も含めて当時のプロレス界では貴重な一戦だったと思う。でもあの試合は、結局誰もネイルボードに落ちなかったんだよ。それを子供ながらに見ていて、これの何が楽しいんだろうって思ってた。まだプロレスというものがよくわかってなかったから、その頃の自分には伝わってくるものがなかった。

 幼稚園時代は帯広のちょっと東の方に住んでたんだけど、小学校に入るタイミングで、帯広市内にある違う町に引っ越すことになった。小学校入学ってことで、誰もが新しいスタートを切ることになるんだけど、俺っちにとっては、今まで仲良かった幼稚園時代の友達がまるっきりいないし、近所の子分たちもいない。まるっきり新しい環境になってしまって、イチから友達を作らなきゃいけなくなったことで、ちょっと俺っちの性格が変わってしまった。

 子供だから、環境にもすぐ慣れるし、友達も出来てはいるんだけど、やっぱりどこかしら馴染めない感じずっとしていたし、どんどん内気になっていった。友達が「葛西くん遊ぼうよ」って家に来ても、お母さんに「ちょっといないって言って」って頼んで居留守を使って、独りでずっと絵を描いたりしていた。俺っちはいまだに内向的だなって思うことはあるんだけど、この頃はもっとそれが出ていたね。

 そんな頃に、今度はしっかりと「プロレス」に出会った。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「エッセイ」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる