まさかのオリジナル『ロッキー』超え!? 『クリード チャンプを継ぐ男』が血湧き肉躍る傑作な件

『クリード チャンプを継ぐ男』が傑作な件

 『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』の公開まであと数週間と近づいて、自分と同世代の40代のリアルタイマー男たちは、メディアで、プライベートで、皆口々に「『スター・ウォーズ』で映画に目覚めた」話を誇らしげにしていることだろう。というか、自分もそうだ。しかし。胸に手を当てて記憶を辿ると、多くの人が『スター・ウォーズ』と同じレベルのインパクトで映画の原体験となった作品がもう一つあったことに思い当たるはずだ。1976年公開の『ロッキー』。1970年生まれの自分の場合、リアルタイムで(親にせがんで連れて行ってもらって)映画館で観たのは1979年の『ロッキー2』が最初だったが、ポカンと口を開けて眺めるしかなかった圧倒的な映画体験の『スター・ウォーズ』シリーズとは別の意味で、『ロッキー』シリーズは映画ならではの感動を当時の小学生にもビンビンに伝わるストレートさで教えてくれた特別な作品だった。

 これまで製作されたシリーズ作品は6本と、実はその本数も『スター・ウォーズ』と同じ『ロッキー』だが、待望の新作をめぐっての公開前の熱狂は現状では比較にならないほどの温度差がある。2006年の『ロッキー・ザ・ファイナル』は思いがけず好作ではあったが、その前の1985年『ロッキー4/炎の友情』や1990年『ロッキー5/最後のドラマ』でシリーズとしての評判を落としてきたことも影響しているだろう。「今回の主人公はロッキーの宿敵アポロ・クリードの息子、アドニス・クリードだ」と言われても、「ふーん」というのが大半の観客の事前のリアクションなのではないか。

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(C)2015 METRO-GOLDWYN-MAYER PICTURES INC. AND WARNER BROS. ENTERTAINMENT INC.

 もう一つ、本作『クリード チャンプを継ぐ男』の製作の噂が聞こえてきた時点で、個人的に盛り上りきれなかったのは、監督のライアン・クーグラーの出世作『フルートベール駅で』をあまり評価していなかったから。2013年のサンダンス映画祭でグランプリと観客賞をダブル受賞した『フルートベール駅で』(ちなみにその翌年に同じくグランプリと観客賞をダブル受賞したのはあの『セッション』だ)は世界各国のメディアや観客から絶賛されはしたが、自分にとっては「ニューイヤーズデイを友人と祝うために街に繰り出そうとした一人の何の罪もない黒人青年が、白人の鉄道警官に銃で撃たれて死亡した」という実話をただ再現ドラマのようにベタかつエモーショナルに描いただけの、映画的な創意や新しさをほとんど見出すことができない優等生的な作品だった。確かに随所に見え隠れしていた新人監督らしからぬ「巧さ」には感心させられたものの、「いやまぁ、時節柄、そういう話はリベラル層には受けるだろうし、それをただ“巧く”撮られてもなぁ」と冷めた気持ちなってしまった。今思い返してみても、例えばその後にディアンジェロやケンドリック・ラマーが同じテーマにおいて音楽の世界で表現してきた深い歴史的な視座や複雑な感情と比べて「あまりにもストレートで素朴すぎないか?」という気持ちは拭えない。

 しかし、そんなクーグラー監督の本来の資質に違いないベタさ、エモーショナルさ、ストレートさ、素朴さが、今作『クリード チャンプを継ぐ男』ではあらゆる意味でポジティブに作用しているのだ。というか、よく考えてみるまでもなく、そんなベタさ、エモーショナルさ、ストレートさ、素朴さとは、まさに『ロッキー』シリーズの持つ美徳である。適材適所とはまさにこのこと。社会派を気取ったドキュメンタリー・タッチの文芸作(『フルートベール駅で』)ではわからなかったが、クーグラーの才能は、まさにメインストリームのエンターテイメント作品に打ってつけのものだった。

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