『残穢』公開、そして6月は『クリーピー』も! ホラー・クイーン竹内結子の帰還を祝う

ホラー・クイーン竹内結子の帰還

 あれは2006年だからちょうど10年前。自分が株式会社ロッキング・オンを辞めてFACTという小さな会社に移ったばかりの頃だ。当時、その会社はボス(鹿野淳氏)と自分のほかは20代前半の若者ばかりだったのだが、そんななかでも学生時代にバイトでやり手の風俗のスカウトマンとしてならしていた社内きってのチャラ男と、(嫌々ながら)同じ釜の飯を食う仲間として親睦を深めるためにこんな話をしていた時のことだ。「好きなタレント、誰かいる?」。いたってありがちな会話である。しかし、そこで不意を突かれることとなった。当時21歳のチャラ男は、なんのためらいもなく真っ先に自分よりかなり年上のある女優の名前を言ったのだった。「(竹内)結子っすね。あれはいい女ですよ、先輩」。

 時は流れて2012年。自分が初めて嵐の二宮和也に単独インタビューをした時のことだ。彼の役者としてのキャリアを振り返るロング・インタビューも終盤にさしかかって、「今日はいい話をとれたな」と一安心(雑誌の表紙巻頭インタビューというのは、もし失敗したらその号が台無しになってしまうのでどんな相手でも特別の緊張がともなうものなのだ)した時、ふと嵐ファンにとっては有名な“ある話”を確かめたくなった。「そういえば、二宮さんってあの人の大ファンなんですよね?」。そう訊いた瞬間、これまで流暢に言葉を発してきた彼は途端にしどろもどろになって顔を赤らめた。これはガチである。一説によると、二宮和也にとって竹内結子は共演NGなのだという。「好きすぎて共演NG」。いい話だ。

 今でも鮮明に記憶に残っているエピソードを最初に二つ挙げさせてもらったが、それ以外にもこれまで人生において、竹内結子の名前はふとした時に周りの“違いのわかる男たち”の口から発せられ、その都度「ハッ!」とさせられてきた。そして、いつしか自分もそれまで“なんとなく好きな女優の一人”であった竹内結子のことを、特別な目で見るようになった。

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(c)2016「残穢−住んではいけない部屋−」製作委員会

 ホラー映画マニアの自分にとって、竹内結子といえば長らく“『リング』一作目で最初に死ぬ女子高生”だった。まだ幼い面影が残っていた当時17歳の竹内結子は、1998年、あの世界中のホラー映画に衝撃と影響を与えた大傑作でスクリーン・デビューをはたしたのだった。松嶋菜々子、中谷美紀、真田広之、松重豊と、今振り返ると再現不可能と言えるほど豪華なキャスト陣が名を連ねていた映画版&日本版『リング』の一作目であったが、その後の映画版『リング』でお約束となっていったあの凄惨な死に顔の、いわば“顔芸”をスクリーンで最初に披露したのが竹内結子だった。

 その翌年、竹内結子は1999年にNHK連続テレビ小説『あすか』の主演に抜擢されたのをきっかけに大ブレイク。その後、月9ドラマや当時大流行していた“泣ける小説”映画化作品(今思い返してもしょうもないブームでしたね)などに次々と主演し、一躍トップ女優となる。しかし、先に挙げた2つのエピソードの時期に注目してほしい。竹内結子が中村獅童と結婚して、第一子を出産したのは2005年。いろいろあって離婚したのは2008年。しかし、熱烈な結子ファンにとっては、彼女の私生活における結婚も出産も離婚もまったく何の関係もないのであった。あくまでも、大切なのは“俺の結子”。その頃には、自分もすっかり妄想の中で“俺の結子”を作り上げるようになっていた。

 しかしながら、主にSMAPのメンバーとの共演作において心に残る秀作を残してきたテレビドラマ(中居正広との『白い影』、木村拓哉との『プライド』、香取慎吾との『薔薇のない花屋』)はともかく、映画においては少なくとも個人的に決定打となる作品が長らくなかったというのが正直なところ。ようやく「これだよ、これ! 自分が観たかった結子はこれだよ!」と思ったのは、2013年の『ストロベリー・ナイト』(テレビドラマ版は2010年)だった。長年一途に片思いし続けてきた菊田(西島秀俊)が見守る中、ヤクザ(大沢たかお)とカーセックスに興じる姫川(竹内結子)。あれこそは、恋愛におけるホラー描写の極みだった。いや、ホントに……。

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