木村拓哉、森田剛、岡田准一……演出家・蜷川幸雄が磨き上げたジャニーズ俳優たち

realsound-v6th_.jpg
(C)タナカケンイチ

 2016年5月12日、日本を代表する演出家の蜷川幸雄氏が肺炎による多臓器不全のために亡くなった。日本国内ではもちろん、アメリカやイギリスなどでも高く評価され「世界のニナガワ」と呼ばれていた蜷川氏は、様々な功績を残している。Bunkamuraシアターコクーン芸術監督や、財団法人埼玉県芸術文化振興財団芸術監督など幅広い肩書を持ちつつ、菊田一夫演劇賞、文化庁芸術祭演劇部門大賞、テアトロ演劇賞、紫綬褒章、文化勲章など、数々の功績も収めている。数々の輝かしい実績を持つ蜷川氏だが、「演劇をメジャーな娯楽へと進化させたこと」と「数多くの“人気タレント”を“一流の俳優”に育てあげたこと」は特筆したい。ジャニーズ事務所とも関わりが深く、現在「演技派」と言われているジャニーズメンバーの多くが蜷川氏の演技指導を受けているのだ。

 例えば、SMAPの木村拓哉。木村は1989年に舞台『盲導犬』で初めて蜷川氏と一緒に仕事をしている。それが木村にとって初のソロ仕事であった。それまでの木村は、ほとんど演技の仕事をしていなかったように思う。まだまだ粗削りな木村に対して、蜷川氏は精神的に追い込む厳しい指導をしていたそうだ。そのストレスによって、髪の毛の一部分だけが白髪になってしまった話は有名である。しかし、木村はこう話す。

「たぶん、ジャニーさんから蜷川幸雄という人に出会わせてもらえなかったら、この仕事をやっていないと思うし、今いないと思う。当時はナメてたから」(『木村拓哉のWhat’s UP SMAP!』TOKYO FM/1月16日放送)

 この言葉の通り、蜷川作品に出演したことで木村は芸能界で演技の仕事をしていく決心をしたのだという。その後、1991年の『映画みたいな恋したい「ロミオとジュリエット」』(テレビ東京系)で主演を果たしたことを皮切りに、テレビドラマや映画で次々と活躍していく。演技の基礎もさることながら、木村は役者としての心構えと覚悟を蜷川氏に教えてもらったのだろう。

 またV6の森田剛も、蜷川作品への出演を経て役者として確固たる地位を築いた一人である。森田が蜷川と初めてタッグを組んだのは2010年の舞台『血は立ったまま眠っている』だ。その後2013年に『祈りと怪物〜ウィルヴィルの三姉妹〜』で再タッグを組み、2016年8月には『ビニールの城』で三度共に仕事をすることになっていた。コンスタントに仕事をしていた2人だが、初めて森田の演技を見た蜷川氏はこう語っている。

「森田君の武器は疎外感だね。世間との疎外感を体の中に持っていること。この現実社会の中に自分の居場所がない。あるフリをしても身体が正直に“居場所がない”と言ってしまっている。それはすごく得難いキャラクターです」(『血は立ったまま眠っている』会見にて、2010年)

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「アクター分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる