『ディストラクション・ベイビーズ』は優れた寓話だーー柳楽優弥、菅田将暉、小松菜奈、村上虹郎の演技が伝えるもの

『ディストラクション〜』のキャラ配置を考察

 当惑している。何を書けばいいのか、わからないのだ。つまらないわけではない。いや、むしろ、というか、少しでも映像作品が好きであると自認するならば(「趣味:映画鑑賞」となんとなく書くレベルでも)、必ず観ておくべき作品であると思う。ようするに、トップギアで108分を駆け抜ける気迫満点のこの作品に、何か気の利いた風なことを書くのは、野暮に思えてしょうがないのだ。

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 あらすじは明瞭である。喧嘩に負けてしまった芦原泰良(柳楽優弥)は復讐を誓い、まるでロールプレイングゲームで経験値を積むかのように、街でストリートファイトに明け暮れる。いきがってはいるがヘタレな高校生の北原裕也(菅田将暉)は、泰良とつるむことで退屈な自分自身から飛躍できるのではないかと思い、行動を共にする。といっても一緒に戦うわけではなく、スマホで泰良のファイトを撮影し、自分より圧倒的に弱そうな対象(例えば女性など)に暴力をふるうのみなのだが。彼らの行動が事件化していくなか、ふたりはキャバ嬢の送りの車を強奪、車中にいた那奈(小松菜奈)を拉致し、逃避行が始まる…というものだ。地方都市の無軌道な若者たちによるダークな青春ロードムービーといってしまえばそれまでなのだが、本作からは決してそんな単純な印象を受けない。

 まずは、何といっても、芦原泰良のカリスマ性だろう。無口で何を考えているのかわからない、ゆえに深淵な人物にも単なる狂人にも見える存在感。「地獄の黙示録」のカーツ大佐(マーロン・ブランド)とでも言おうか。彼の行動には、何らかの哲学すら感じさせられてしまう。社会のルールなどまったく無視した振る舞いは、ヒーロー然とすらしているのだ。その泰良という圧倒的な存在によって、北原裕也や那奈といった凡庸で姑息な普通の人々(言い換えれば、私たち)の「弱さ」や「醜さ」が浮き彫りにされるのである。

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 北原裕也は、自分に自信がないゆえに、泰良に引き寄せられ、巻き込まれていく。自分だって何者かでありたいという彼の切実な欲求は、誰しも共感しうるところだろう。そして、裕也が、結局、転落していくのは、その「弱さ」ゆえである。他人に仮託してみても、何者かにはなれないからだ。

 那奈の「醜さ」は、泰良たちに巻き込まれることで、思いもかけない「強さ」となって発揮される。意味もなく拉致され、圧倒的な暴力に晒された彼女が、彼らとどう対峙するのか、その具体的な在り様は劇場で確かめて欲しいのだが、普通の人々が生き延びていくということは、時に「醜さ」やそれゆえの「強さ」が必要なのだろう。生きるか死ぬかというと大きな話になるが、仕事でも恋愛でも、当て嵌まることが言えるのではないかと思う。

 また、ストリートファイトのシーンも特筆すべきものだ。とにかくリアルなのである。いや、殴り合いの喧嘩など、中学生以来経験がないから、もはやよくわからないのだが、時にダラダラと無様であり、時にあっという間に勝敗が決する感じが、何ともリアルに思えるのである。まるで自分も戦いの場にいるような臨場感も素晴らしく、心地いい緊張感を与えてくれる。

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