嘘をつくのは誰なのか?ーー現役弁護士が『FAKE』における著作権法上の論点を分析

現役弁護士が分析する『FAKE』の法的論点

著作権法第一二一条
著作者でない者の実名又は周知の変名を著作者名として表示した著作物の複製物(原著作物の著作者でない者の実名又は周知の変名を原著作物の著作者名として表示した二次的著作者の複製物を含む。)を頒布した者は、一年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。

 これは、「著作者名詐称罪」という罪を規定している著作権法の条文だ。簡単に言ってしまえば、事実と異なる著作者名を冠した作品を市販した者には、一年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金又はその両方を科す、ということが定められている。

 この条文によれば、佐村河内守名義で発表された作品の少なくとも一部が新垣隆氏の著作物だったのだとすれば、その作品を自分の名前で発表し、レコード会社を通じ市販した佐村河内氏の行為は、著作者名詐称罪に該当する可能性があることになる。

 もちろん、佐村河内氏の作曲への関与の程度や、新垣氏自身が自分は佐村河内氏の共犯だと主張している点など様々な問題があり、事はそう単純ではない。実際、佐村河内氏は一連の件で起訴はされていないし、そのことが不当だと主張するつもりもない。

 ただ、今さらかもしれないが、『FAKE』という映画について書くにあたって前提としてこの点は強調しておきたい。佐村河内守氏の行為は、たとえ最大限佐村河内氏に有利に解釈したとしても、法的に問題となり得るものだった。

 そもそも、著作権法は基本的に「著作権者のための法律」であり、著作者が有する権利を財産権の一種として保護するための法律という面が強い。仮に著作権法が100%「著作者のための法律」だとすれば、少なくとも本当の著作者=ゴーストライターが納得しているのであれば、自分で自分の財産をどう処分しようと勝手であり、第三者から文句を言われる筋合いはない、ということになる。新垣氏が納得しているなら、佐村河内氏の行為も問題ない、というわけだ。

 しかし、著作権法すべてが「著作者のための規定」というわけではない。著作者名詐称罪はその例外の一つだ。ここで刑事罰を科してまで守ろうとしているのは、「本来の著作者の利益」だけでなく、著作者クレジットに対する社会からの信頼も含まれるからだ。

 映画でも音楽でも文学でもいいが、ある作者の「ファン」として作者に関心を持ち、「その作者の作品だから」という理由で作品を購入する、という態度は消費者としてごく一般的だ。映画を論じる文章の相当割合は監督論だし、ミュージシャンのインタビューは多くの場合そのミュージシャンの作家性に焦点をあてる。我々受け手にとって、「著作者は誰か」というのはやはり大問題なのだ。「全聾」「被爆二世」「耳鳴りに苦しみながら作曲する姿を映したNHKスペシャル」といったストーリーが音楽自体と無関係だからといって、そのストーリーに惹かれて佐村河内氏の音楽を買った人間の期待が保護されなくて良い理由にはならない。

 作品に表示された著作者名と実際の著作者が一致しないのはきっとよくあることだと思う。しかし、原則論として、本来はやはりできるだけ実態に即したクレジットがなされるべきだろう。

 本件に即して言えば、仮に佐村河内守氏の主張が正しかったとしても、佐村河内氏自身も新垣隆氏が作品に関与していること自体は否定していないのだから、最低でも「作編曲=佐村河内守/新垣隆」というような共作クレジットにすべきだった。でも、そうしなかった。
 
 佐村河内氏を題材とした森達也監督のドキュメンタリー映画『FAKE』を見てまず気づくのは、ここまで書いてきたような「ゴーストライターの是非」という点には監督は関心を持っていない、ということだ。

 被写体のどの面にフォーカスするかはまさにドキュメンタリー作家の作家性に属する部分であり、そのこと自体には良いも悪いもない。

 しかし、この映画で、例えば横浜のマンションで妻と猫と暮らす佐村河内氏の様子を見て気づくのは、佐村河内氏も妻も働いていないということだ。そして、佐村河内夫妻の自宅は豪邸ではないが、そこそこ良いマンションだということだ。来客があるたびにケーキを出し、一念発起して新しいキーボードを購入する程度の経済的余裕はあるということだ。

 佐村河内氏は問題発覚以前20年ほど職業作曲家として生活してきたのだから、現在のマンションでの2人暮らしを支えているのはその時代に職業作曲家として稼いだ金である、と考えるのが自然だろう。ということは、カメラに映る佐村河内夫妻の生活は今でも「ゴーストライターを使って稼いだ金」によって支えられているとも言えるのではないか。

 というような形で、この映画の中にも「ゴーストライターの是非」を意識せざるを得ない契機はばっちり映り込んでいる。しかし、作品はその点に踏み込んでいかない。監督にとって、他にもっと大事な点があるからだ。

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