演劇、音楽ライブ、落語、歌舞伎……映画館で多様なエンタテイメントを“観る”メリット

映画館でコンテンツを多面化する意義

 東京は立川にある独立系シネコン、【極上爆音上映】で知られる“シネマシティ”の企画担当遠山がシネコンの仕事を紹介したり、映画館の未来を提案するこのコラム、第6回は“エンタテイメントの多面化”について。

 この連載でも何度か触れていますが、ここ数年、映画館ではいわゆる映画だけでなく演劇や音楽ライブ、落語や歌舞伎を撮影したものが頻繁に上映されるようになってきています。

 例えば、近い日付なら「ベルリン・フィル・イン・シネマ」が上映されました(東京・恵比寿ガーデンシネマでは7月23日から)。サー・サイモン・ラトル指揮で、ベルリン・フィルの2015年~2016年に行われたコンサートの中から選りすぐりの演奏を3回に分けて上映するというもので、第1弾はベートーヴェンの交響曲4番と7番。

 ベルリン・フィルの演奏の映像作品は4年前に「ベルリン・フィル3D "音楽の旅"」というまさかの立体映像で演奏の様子を撮影するという実験的な作品の上映もありました。

 映画館でオーケストラの演奏映像を流すということと逆に、音楽ホールで映画を上映して、劇伴を消して生のオーケストラが演奏する、というエンタテイメントがここ数年で流行り始めています。

 これまでに「ウエスト・サイド物語」や「ゴジラ」「ロッキー」「タイタニック」などで行われ、また映画を丸々1本上映するのではなくティム・バートン監督のフィルモグラフィのテーマ曲をダイジェスト映像を流しながら演奏したり、ディズニーアニメの曲をやはりダイジェスト映像とともに演奏する「ディズニー・オン・クラッシック」などもありました。

 オーケストラの演奏だけだと、なかなかお客さんを集めるのは難しくても、映画と組み合わせることでエンタメ度が格段にアップし、映画ファン、新しいもの好きをコンサートに連れてくることが可能になります。

 歌舞伎でマンガ『ONE PIECE』が題材とされて大きな話題になりましたが、この“他のエンタテイメントのお客さんを引っ張ってくる”というのは間口の拡げるのにとても有効な手段です。

 映画館も、音楽ライブに、演劇に、落語に、歌舞伎に、バレエにオペラと、どんどん手を出しています。デジタル技術の革新が、撮るのも映すのも、安価に簡単になったため、それまでは割が合わなかったことが合うようになってきたのです。そして最初は“奇手”だったものが繰り返すことでやり方が洗練されていって質が上がり、新しいエンタテイメントとして成立をし始めています。

 生の舞台や演奏を撮影して映像作品にすることは、単に記録というだけでなく、それはひとつの表現手法になります。確かに“そこで人がパフォーマンスしている”ということの実在感と緊張感は著しく失われます。これは最大の欠点。

 しかしメリットも大きいのです。まずひとつは、視点の自由化と均質化。

 生のステージでは観客がどこを観るかは観客に任せられます…というような言い方をすれば美しくも感じますが、実際は座席位置によって視点の自由はかなり制限されているわけです。音楽なら、ギターソロがヴォーカルの影に隠れてまったく見えない観客が出たり、演劇なら前の方の席で役者の表情は観られるものの、全体が見渡せず把握しづらいというのはよくあることです。映像ならば適時アップになったり、角度が変わったり、全体を引きで捉えたりして、視点は固定化されません。

 つまり生の舞台や演奏では、座席位置によって同じモノを観ても受け取るものがかなり異なっているということです。ハコが大きくなればなるほどその差異は大きくなり、例えばスタジアムのアリーナの最前列あたりの観客と3階席の右端あたりの観客とでは音響的にも視覚的にも、似ているけれど別のものを観ているといっても過言ではないでしょう。

 映像を映画館で観る場合は、それに比べると座席位置による変質はかなり小さなものです。サイズの大小はあれど、同じスクリーンを観ていれば観客は全員同じ映像を観ているわけです。ハコの大きさもせいぜい600席が最大です。

 また良し悪しは別にして、物語進行上、今観るべきところが映り続けるわけですから作り手の意図はかなり正確に観客に伝わります。脇役の女優の美しさに見惚れて、主役の重要な動きを見逃した、ということは起こりません(笑)。

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