西野七瀬『あさひなぐ』は乃木坂46を“苦悩”から救う? 『悲しみの忘れ方~』との関係を読む

『あさひなぐ』乃木坂46の苦悩を昇華する?

 西野七瀬や白石麻衣など、乃木坂46のエース級メンバーが多数出演し話題となっている映画『あさひなぐ』(英勉監督)が、近年のアイドル映画の中でも青春スポ根作品として大健闘を見せている。こざき亜衣による人気漫画を原作に、薙刀(なぎなた)に青春をかける女子高生たちを描いたこの作品は、アイドル映画としての面白さだけに留まらない魅力を秘めている。そこで今回は『あさひなぐ』を通して、主演の西野と乃木坂46の映画における可能性を考察してみたいと思う。

 乃木坂46は8月に結成6周年を迎え、11月には東京ドームでの公演が決定。2作連続でミリオンを達成するなど、現在のアイドルの中でもトップクラスの活躍ぶりを見せている。まさに絶好調なのだが、しかし彼女たちを見ていると「苦悩」という文字が浮かぶ。一期生の卒業が相次ぎ、つい先日も『あさひなぐ』で部長の野上えり役を演じた伊藤万理華が年内の卒業を発表したばかり。不明瞭な選抜システムにより、二期生や三期生との世代交代の難しさも感じざるを得ない。また、コンセプトがしっかりしている後輩グループの欅坂46の台頭も相当なプレッシャーだろう。

 彼女たちが苦悩していると感じ始めたのは、2015年の映画『悲しみの忘れ方 Documetary of 乃木坂46』を観てからだ。各々が写真集を出す前までの乃木坂46は、清楚で上品なお嬢様といったイメージだが、『悲しみの忘れ方~』に出てくる等身大の彼女たちはとにかくネガティブ。「スクールカーストの底辺だった」と言う生駒や、「中学の時に引きこもりになった」と語る白石など、彼女たちのトラウマをえぐり、乃木坂46で活動することへの苦悩を赤裸々に映し出した内容で、その華やかなイメージを一転させていた。

 特にラストの「私の娘は乃木坂を辞めるか、髪を切るか悩んだ。そして娘は髪を切った」という終わり方が、映画としては意味深で面白いのだが、モヤモヤしたものが残る。それ以降、彼女たちの笑顔よりも、必死に頑張る姿の方が目に入るようになった。AKB48グループの方はそれをエンターテイメント化することで人気を博していったが、乃木坂46の場合はどこかセンチメンタルな感情を抱かせる。それが彼女たちをアイドルとして応援したくなる重要な要素の一つであるのは確かなのだが。

 そんな中、プロデューサーの上野氏は「『悲しみの忘れ方~』はいいものができた手応えがありました。でも、ドキュメンタリーはどうしてもファン以外に広がりづらい。なので、もう一度乃木坂46と仕事をしたいと思った時に幅広い層に支持されるジャンルである、青春群像劇の『あさひなぐ』が思い浮かびました」(引用:日経エンタテインメント! 2017年6月号より)と製作理由を述べている。『あさひなぐ』プロジェクトと題し、5月~6月に舞台を公演、続いて9月に映画を公開するという東宝史上初の連動企画を実施し、異なるメンバーが同じ役をどう解釈して演じるのかという新たな楽しみ方を生み出した。

 もちろん原作のある話だが、まるで青春劇を借りた『悲しみの忘れ方~』と思えるほど、主役の旭と西野の境遇が似ている。内気で運動音痴な彼女にいつしか責任感が芽生え、チームを引っぱる大将となっていく姿には、乃木坂で最初は後列だった西野が、センターを獲得し乃木坂を牽引する存在になるまでのプロセスと重なった。負けず嫌いなところもリンクする。役に対しても薙刀に対してもとにかく一生懸命に挑む姿は、魂のこもった熱さを感じさせるのだ。ただのドラマではなく、ドキュメンタリーでもない。演技の上手い下手を超越したリアルさを味わせてくれる。

 そして『あさひなぐ』は、明るい未来を想像させるエンディングを迎えるため、『悲しみの忘れ方~』で入り込んだ長いトンネルから、やっと抜け出せたような光が見えた。同時に、乃木坂46自体が「苦悩」から救われたように感じた。

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