池松壮亮が私たちの悩みをぶち破ってくれる 『宮本から君へ』が現在に蘇った意義

『宮本から君へ』が熱くてしょうがない

 面白いだろうこと、とにかく熱いドラマだろうことは、池松壮亮と監督・脚本の真利子哲也、そして新井英樹原作『宮本から君へ』から予想はしていた。でも、その予想を軽く上回ってしまった。

 駅のホームで「ちょっと待ってください! 僕の名前は、宮本浩です!」とちょっと裏返った声で叫ぶ池松壮亮演じる宮本に対して、戸惑い気味の華村あすか演じる甲田美沙子が「はい」と答えたとき、多くの視聴者の心の中に芽生えただろう宮本への喝采は、その次のシーンで大画面に映し出される池松宮本の泣き出さんばかりの悔しげな表情と主題歌、エレファントカシマシの「Easy Go」によって、思わず声に出してしまいそうなほどの、ドラマ自体の喝采へと変わったのではないだろうか。

 そして、第2話の三浦透子演じる茂垣裕奈とのなんとも優しく切ない、と言うときれいすぎる、なんともしょっぱいラブシーンで、私はもう完全にノックアウトされてしまった。

 番組公式サイトにおいて池松は「宮本浩という人は、僕にとってどの歴史上人物よりも星であり、ヒーローでした。人としての力、生き様を物凄く尊敬していました」と語っている。また他のインタビュー記事でも、池松は、宮本が「自分も本当はこうありたかったという象徴」であると語る(産経ニュース|「宮本から君へ」池松壮亮)。90年代の若者たちの心を熱く揺さぶったコミック『宮本から君へ』が「どこか冷めている」とも言われる現代の若者たちの心をどう動かすのかということはきっと多くの場所で語られることだろうが、いつの世の若者の心の中にも、宮本がいるのではないだろうか。

 冷めた言葉で世の中と自分の状況を俯瞰して語りながら、「だってなんか、なんか俺はでっかいことしたいんだよちくしょお!」と居酒屋で叫ぶ宮本のように心の奥で叫び、それを外側には出せないまま、いつのまにか昇進・出世し、誰かの夫や妻になり、誰かの父親や母親になって、やがて全てを忘れて昔を振り返り懐かしむようになる。だから、池松と同じく現代の若者たち、並びにかつての若者たちは、宮本が「自分も本当はこうありたかったという象徴」であるために、彼を見ていると自分の内側にある「宮本」がジタバタしてしょうがないのである。

 さて、第2話は雨の回だった。柄本時生演じる、宮本の同期・田島が「アンニュイやな」と言うように、冒頭からテレビの天気予報は雨と接近しつつある台風を示し、初回の終盤の大失態「フルーツポンチ事件」を引きずったままの宮本に、営業先での失敗というさらなる失態が降りかかる。そしてさらには、ダンボール2箱を落とさないようになんとか抱え、歩道橋の階段をあくせく登る宮本に音のない雨がまとわりつき、会社に戻ってタオルをかぶったまま古舘寛治演じる上司の説教を聞く羽目になる。

 だが、宮本以上にツイていないのは、いつも何かを落としたり溢したりするキャラクターである茂垣裕奈だ。駅のホームで案の定小銭をばら撒いてしまっている裕奈に遭遇した宮本は、小銭をかき集める裕奈を手伝い、彼女の淡い期待を汲んでか、「誰かに弱音を吐きかった」こともあり、彼女を夕ご飯に誘う。そのとき、裕奈が持っているのは、水色の傘である。彼女はいわば、宮本に降りかかる雨をしのぐ「傘」だったのだ。

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