T・スコットに通じるJ・コレット=セラの職人芸 『トレイン・ミッション』に学ぶ映画の作り方

松江哲明の『トレイン・ミッション』評

 「リーアム・ニーソン主演」「舞台は電車」このふたつのキーワードだけで、どんな話かある程度の想像はつくかと思います。ですが、本作はそんな観客の想像を超えてくる、ジャウマ・コレット=セラ監督の才能が詰まった素晴らしい“ジャンル映画”でした。

 コレット=セラ監督は、2005年の長編デビュー作『蝋人形の館』から本作まで、サスペンス、ホラー、アクション、さらにはスポーツまで、ジャンル映画を撮り続けてきた監督です。設定や展開の仕方などを切り取れば、映画の歴史上、似た作品は多数あります。そもそもデビュー作が3度目のリメイクですから。でも、巧みな演出と編集によって、どの作品もコレット=セラ監督独自のものにアップデートしている。「映画は自由だ」と宣言する作品の多くがどこかで見た表現の模倣でしかない場合が多いですが、彼は過去の映画を自分の中で消化し、その上で何が新しくできるかをひたすら探求していると思います。僕は現在のハリウッドではイーライ・ロスとジェームズ・ワンもそのような挑戦を続ける「映画監督」だと思っています。

 本作はリーアム・ニーソン演じる保険会社に務める主人公マイケルが、定年を前にクビを宣告され、途方に暮れるというところから始まります。マイケルがどんな人生を歩んできたのか、どんな性格の持ち主なのか、これからどんな物語が始まるのか、それを冒頭の数分だけできっちり見せるのですが、その方法にまず驚かされました。毎日毎日同じ通勤電車に乗っていたマイケルの日常を、細かいカット割りと時間軸を交錯させる編集によって観客に提示するんです。過剰な説明セリフは一切ありません。実際は多数の通勤者がいるはずなのに、マイケルだけしか映さない印象的なカットで彼のぽっかりとした心境を映像として示すなど、映画でしかできない表現で観ているこちらをハッとさせてくれます。『フライト・ゲーム』『ロスト・バケーション』でもそうでしたが、限られた時間と空間の中で、必要な情報を伝えるのが本当に巧みな演出です。

 列車という題材は、リュミエール兄弟の『ラ・シオタ駅への列車の到着』に始まり、映画史の中で扱われ続けてきました。多種多様な人物が乗り合わせることで起きるサスペンス、目的地までの限られた時間内で繰り広げられるミステリー、列車が暴走することで起きるパニックと、古今東西、列車を題材にしたさまざまなジャンル映画があります。本作は、そんな列車で起きうるジャンルをすべて詰め込んだ1本です(笑)。

 そんな挑戦的な試みを成立させてしまうのはコレット=セラ監督の力量とリーアム・ニーソンの熱演があってこそ。突然始まるアクションシーンも、リーアム・ニーソンが異常な強さを持っているのも、強引に納得させられてしまうから不思議です(笑)。マイケルはとあるゲームを持ちかけられ、1人の乗客を探り出していきます。乗客探しの謎解きミステリーから、乗客同士の心理が揺れ動くサスペンスへ、そして終盤の大アクションシーンへと見せ場は満載です。

 『フライト・ゲーム』をなぞるかのように相変わらずリーアム・ニーソンは困り顔をしつつも事件を解決しようと戦うのですが、本作にはクライマックスでこれまでのコレット=セラ監督にはない“直球”描写がありました。対立しあっていた人間関係が、とある事実の発覚によって信頼し合う仲間となるのです。その、人の心が変わる瞬間の捉え方には感動させられました。これはこれまでのコレット=セラ監督の作品にはなかった感覚です。序盤の会話シーンの端々まで、最終局面にすべて活かされた脚本も見事でした。

 これは観客が「こうなるだろうな」とある程度、展開が予想できる”ジャンル映画”だからこそ到達できたのだと思います。期待に応えつつ、作り手の想いをさらっと入れる演出が実に素敵です。サービスだけではサービスになっていないのです。僕は幼い頃に、地上波の洋画劇場でこのような映画とたくさん出会ったのですが、今はありません。そんなことをエンドロールを眺めながら考えました。

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