『ママレード・ボーイ』『honey』……恋に盲目な男女が輝く“キラキラ映画”が今年は豊作!

今年は“キラキラ映画”豊作の年!

 年々増え続ける、少女マンガを原作とした映画たち。2018年も豊作の年であった。大ヒットシリーズの完結編『ちはやふる -結び-』や、若手スターが一堂に会した『となりの怪物くん』、この12月には『春待つ僕ら』が公開され、昨年の公開本数をさらに上回ってきた。

 本稿では、「キラキラ映画」のベスト3を挙げていきたいのだが、この、ともすると揶揄する意味で使われがちな「キラキラ映画」というものを、個人的に定義づけてみるところから入っていきたい。まず、やはり多くの方が認識されているように、「少女マンガ」が原作であるということ。ほとんどの作品の主人公が女子高生であり、学園生活を舞台に、文字通りのキラキラとした恋愛模様を描いたものである。この時点で、物語に登場する人物たちと同じ世代(つまりはティーン・エイジャー)を主なターゲットとした、一部の作品に絞ることができるだろう。

 さらに、恋愛模様を演じる彼女(あるいは彼)たちが、それに対していかに盲目的であるかどうかだ。自らの欲したものを、なんとしてでも手に入れようとする姿勢が見られるかどうかを基点としている。目的遂行のためには、どんな犠牲もいとわない。そんなある種の“個人主義”こそが、「キラキラ映画」の“キラキラ”とした要素であり、魅力だと思えるのである。こういった側面が強く見える作品を、便宜上「キラキラ映画」と呼びたいのだ。

 映画を通して新しい世界と出会うことは、ときに世界の広さや豊かさ、他者を尊重する心の大切さを知るきっかけにつながるかもしれない。しかしここに挙げた3作品は、そういったものからは少しだけ、あるいはまた大きく離れたものである。

『honey』

 『honey』には多くの学生たちが登場はするものの、しだいに中心に立つ者たちだけをフォーカスしていく。すべての登場人物一人ひとりの背景には、当然、それぞれの人生・ドラマがあるはずであり、彼らを“その他大勢”として扱うことは、非・リアイティなものだといえるだろう。監督の神徳幸治は、前作『ピーチガール』(2017)に続き、この“その他大勢”、主人公たちにとっての“外野”たちを徹底的に均質化、匿名化し、「全体」として扱っている。恋心を盲信し、その対象に向かって猛進しているとき、周囲の声など聞こえはしない。そんな演出だと受け取れる瞬間が、本作には随所に見られるのだ。恋に夢中になっている者たちは、誰もが自分の世界の主人公なのだろう。

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