平成ドラマ史を振り返る評論家座談会【前編】 “暗さ”を楽しめた1990年代と、俳優・木村拓哉

平成ドラマ座談会【前編】

 1989年から2019年の30年間に渡った「平成」。バブル時代に前後して次々と社会的ブームを起こした「トレンディドラマ」が放送され、2019年までに実社会で起きた阪神大震災や地下鉄サリン事件(1995年)、東日本大震災(2011年)などの大きな事件や社会問題が作品のテーマとして反映されてきた。

 リアルサウンド映画部では、「平成」に制作された莫大な数の国内ドラマを振り返るために、レギュラー執筆陣より、ドラマ評論家の成馬零一氏、ライターの田幸和歌子氏、大山くまお氏を迎えて、座談会を開催。前編では、1990年代の「トレンディドラマ」や、視聴率という指標について、また現在100作目が放送されているNHKの連続テレビ小説(朝ドラ)を振り返る。

ーー平成30年間のドラマの最高視聴率ランキングです(参考:ciatr)。

田幸和歌子(以下、田幸):2010年代で40%とれている『半沢直樹』(2013)や『家政婦のミタ』(2011)はやっぱり突出してますね。

大山くまお(以下、大山):改めて見ると不思議な数字ですよね。今は10%前後でヒーヒー言ってる作品が多い中で。

成馬零一(以下、成馬):視聴率もオリコンチャートと同じで、令和では指標としてもう使えないですよね。実際のところ2010年代も怪しい。何十年後かに2010年代を振り返った時にAKB48がチャートを独占しているのを見ても、音楽シーンの流れや代表曲は、理解できないと思うんですよね。ドラマも多分そんな感じで、個人的には視聴率と作品の評価は別モノとして見るようにしてます。ですので、平成は視聴率という指標が崩れたことが1番大きいですね。

大山:でもテレビドラマのフォーマットが2019年にまだこんなに元気なのって、やっぱりSNSにドラマが映えるからではないでしょうか。視聴率とは別にどのドラマが今盛り上がってるかは、SNSでハッシュタグを見れば一発でわかる。

成馬:基本的に今ある指標は、リアルタイムの視聴率と録画視聴率とSNSでどれくらい呟かれているかという、その3つの総合になっているけれど、リアルタイムの視聴率と大して変わらないものがほとんど。時々、SNSだけでバズる作品があるぐらいで、基本的に視聴率自体は年々下がってますよね。

“暗さ”を楽しめた1990年代

『東京ラブストーリー』(c)フジテレビ

ーーまずは1989年の頃から振り返りましょう。

成馬:平成元年の1989年は、まだ昭和って感じがしますね。平成のドラマがはじまったなぁと感じるのは、91年からで、1月にバブルが崩壊して、その時期に放送していたのが『東京ラブストーリー』(1991)、その次が『101回目のプロポーズ』(1991)。バブルが弾けて「トレンディドラマ」が終わりに向かう中で、脚本家の野島伸司が暗い方向に舵を切って、ドラマも変わっていったのかなという印象です。90年代は、サリン事件の起きた95年で線が引けますが、当時オウム事件と正面から向き合ったドラマを作れたのは野島伸司だけで、結果的に『未成年』(1995)は、連合赤軍のパロディみたいな話を作ることで、時代状況を反映していた。野島自身、そこで燃え尽きたのか、前衛性は失われていくのですが、90年代前半は間違えなく野島伸司の時代だったと思います。

大山:80年代後半の「トレンディドラマ」だとギバちゃん(柳葉敏郎)がずっと面白い顔をして恋愛でドタバタしているだけのようなドラマが多かった気がします。「トレンディドラマ」のルーツにはおそらく『男女7人夏物語』(1986)があって、今見れば働いてる人たちの職業や住んでる場所の時代背景が見えてくる楽しみ方があるんですけど、当時の人たちはテンポの良さとか恋愛のストーリーの面白さで楽しんでいて、メディア業界ではまだバブルだったんですよね。

成馬:80年代に「トレンディドラマ」のプロデューサーをやっていた大多亮さんは明確に、野島伸司さんが脚本を務めた『すてきな片想い』(1990)から「純愛ドラマ路線」と言い方をしてますよね。だから作り手の意識としては明確に変わってるんですよね。それにしても、純愛という言い方はどこか宗教的ですよね。複数のおしゃれな人間がグループ恋愛を楽しむような軽薄なもの(トレンディドラマ)とは違って本気度が高い。だからこそ真面目な日本人に支持されたのだと思います。その頃は柴門ふみが恋愛の教祖と言われていて、“恋愛の宗教化”が起きていた。恋愛というものが今よりも人々の中で肥大化していたんだと思います。

大山:『ずっとあなたが好きだった』(1992)もストーカーの話ですもんね。

成馬:佐野史郎が演じた冬彦さんには、オタクという言葉が世間に広まった時期でもあるので、オタクのネガティブなイメージが投影されてましたすよ。『101回目のプロポーズ』もそうですが、今見ると狂気でしかないものを、美しいものとして描かれていた時期ですよね。面白いのは『ずっとあなたが好きだった』の後、佐野史郎の方がスターになって、ダークヒーローとして脚光を浴びてしまうというのも時代の変化なんでしょうね。

大山:1992から1994年あたりには不幸を楽しむドラマが多かったですね。ワイドショー的に色んな弱者や社会問題を描いていて、『愛という名のもとに』(1992)もそう。吉田栄作の『もう誰も愛さない』(1991)がヒットした時にジェットコースタードラマと呼ばれて、次から次へと不幸の展覧会で客を引っ張っていくのと、文学的な社会問題を描きたいという資質がマッシュアップされて、90年代の「裏トレンディドラマ」だったのではと思っています。

田幸:90年代は、『ポケベルが鳴らなくて』(1993)、『不機嫌な果実』(1997)、『失楽園』(1997)、『青い鳥』(1997)など、不倫ドラマも盛んだった時期ですよね。

成馬:平成のドラマって基本的に暗いですよね。『あまちゃん』(2013)のような明るくて楽しそうに見える作品でも、どこか暗い影がある。

田幸:よく平成を平和な時代と言いますけど、バブル崩壊以降、阪神淡路大震災も、地下鉄サリンも、リーマンショックも、さらに東日本大震災もあって、ずっと暗い時代ではありますもんね。

成馬:逆にいうと90年代はまだ、“暗さ”を楽しめた時代とも言えますね。悲劇を他人事のゴシップとして楽しめたからあんなに暗い野島伸司のドラマをみんなが見てたのかなと思うんです。貧乏の捉え方も今語られる“貧困”とは違うものですよね。『家なき子』(1995)と『闇金ウシジマくん』(2010)で描かれる貧乏の質は違って『闇金ウシジマくん』になるとリアルな貧困で、どんどん殺伐としたものになっていく。作り手はバブルの反動で、地に足のついたリアルなものを打ち出しているつもりだったのかもしれないですけど、そこには作り手と受け手のズレがあって、90年代は良くも悪くも描かれる不幸が軽いものに見えてしまう。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「インタビュー」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる