三浦春馬×多部未華子『アイネクライネナハトムジーク』の小さな魔法 今泉監督が投げかける疑問とは

『アイネクライネナハトムジーク』の小さな魔法

 今泉力哉監督が撮る映画の登場人物たち(おもに主人公)は、みな一様に何かに対して“疑問”を浮かべている。最も代表的なものは、彼の映画の代名詞とも言える「好きになるってどういうこと?」という問いかけだ。これは『サッドティー』において棚子(青柳文子)が発する言葉であるが、この命題こそが、これまでの今泉作品のスタイルを形作ってきた。この問いは、『パンとバスと2度目のハツコイ』において「結婚しても、相手のことをずっと好きでいるのは不可能なのではないか?」という疑問に発展し、『愛がなんだ』では「どうしてだろう? わたしはいまだに田中守の恋人ではない」へと変奏を遂げていく。

 『サッドティー』の棚子、『パンバス』のふみ(深川麻衣)、『愛がなんだ』のテルコ(岸井ゆきの)。彼女たちは、置かれている状況や自分の心情に対して純粋に問いをぶつけ、答えを求めようとする。彼女たちが疑問を浮かべるのは、言葉にすると元も子もないような、漠然としすぎてこれまでちゃんと考えることをしてこなかったものだ。疑問を投げかけられた側も「え?」と思わず聞き返してしまって、回答に窮する難しい問題。例えば、『愛がなんだ』における上記の疑問は自分自身に問いかけられたものだったが、葉子(深川麻衣)と仲原(若葉竜也)、守(成田凌)とすみれ(江口のりこ)の関係性に自分を投影したり、あるいは彼らと接することによって、最終的にテルコは「愛がなんだってんだ!」という自己回答へとたどり着く。このように、恋愛群像劇の名手と呼ばれる今泉監督は、“疑問”を映画の主軸に置き、登場人物間のコミュニケーションをもとにその答えを探ってきたフィルムメーカーだと言える。では本作ではどうだろうか? 

 『アイネクライネナハトムジーク』は、劇的な出会いを求める佐藤(三浦春馬)を中心に、10人以上の登場人物が複雑に絡みながら10年という長いスパンで展開する、人と人との交流の物語だ。そのタイトルはモーツァルトの楽曲からとられており、「ある小さな夜の曲」という意味が備わっている。そして、ここでもストーリーのメインに置かれているのは「出会いってなんだろう?」「あのとき出会ったのが彼女でよかったと思う?」「10年付き合ったら結婚するもの?」といった疑問形だ。 

 原作は伊坂幸太郎の同名小説で、脚本は、伊坂作品が映像化される際に何度も筆をとってきた鈴木謙一。要するに、今泉監督は脚本づくりに直接関わってはいない。しかし、例に漏れず本作でもさまざまな「疑問」をもとに物語が展開することになったのは偶然か、それとも必然か。いや、この映画のテーマから考えるのであれば、それもある種の“奇跡の出会い”だったのかもしれない。監督を今泉に指名したのは、伊坂幸太郎本人だと明言されている。今泉作品の登場人物たちが純粋に疑問を追究してきた姿が、『アイネクライネナハトムジーク』の登場人物たちと見事に共鳴することで、今回の映像化が実現したのではないだろうか。

 「疑問」を主軸に置いた映画を撮り続けてきた今泉と、その共通項をもとに集結した製作陣。さらにおもしろいのは、本作が実は「疑問を浮かべること」自体についての映画になっている点にある。

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