『Marvel’s Spider-Man』の予習にうってつけな映画『スパイダーマン』がサム・ライミ版な理由

 話題のゲーム『Marvel’s Spider-Man』は気になっているけど、スパイダーマンは映画もコミックも見たことが無くて楽しめるか不安。そう考えている人は少なくないだろう。スパイダーマンは映画だけでも設定の違う3シリーズが存在するため、予習をするにも迷い箸してしまう。

 結論から言えば、『Marvel’s Spider-Man』をプレイする前に1本だけ予習するとすれば、私は断然サム・ライミ版『スパイダーマン』を推す。もちろん『Marvel’s Spider-Man』は予備知識がなくとも楽しめる作品だが、2時間と数百円の投資でゲームプレイが豊かになるのなら、見るに越したことはない。この記事ではなぜサム・ライミ版がスパイダーマン入門にうってつけなのか解説したい。

サム・ライミ版「スパイダーマン」のあらすじ

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 ピーター・パーカーは、幼馴染みのメリー・ジェーン(MJ)に好意を抱くごく普通の冴えない高校生。彼はある日、遺伝子操作された蜘蛛に咬まれ、超人的な能力を獲得する。手に入れた力を利用してMJの気を惹こうとするピーターだが、その結果自らの過失で育ての親である叔父を強盗に殺されてしまう。「大いなる力には、大いなる責任が伴う」叔父の残した言葉に感化され、ピーターはスパイダーマンとしての道を歩み始めるーー。

 以上がサム・ライミ版『スパイダーマン』のあらすじだ。ちなみにピーターがスパイダーマンに目覚めるまでのオリジンストーリー(誕生物語)は、細かな違いはあれど、どの映画もほぼ同じになっている。

 スパイダーマンのオリジンは『Marvel’s Spider-Man』ではほのめかす程度にしか語られないので、映画を見て押さえておきたい。

大いなる力には、大いなる責任が伴う

 ピーターの叔父であるベンが死の直前に残す言葉「大いなる力には、大いなる責任が伴う」は、シリーズを通底するテーマだ。『Marvel’s Spider-Man』でも重要なシーンでこのセリフを前提とした会話が交わされるので、ぜひ覚えておいてほしい。

 ピーターは手に入れた大いなる力を、責任を果たすために使う。対してヴィランたちは大いなる力を持ちながらも、その力を私利私欲のために用いる。スパイダーマンとヴィランは表裏一体の存在なのだ。

ピーター・パーカー=非モテオタク

 私がサム・ライミ版を推す最大の理由は、この映画がピーターを徹底してナード(冴えないオタク)として描写していることに尽きる。

 眼鏡、気が弱い、理系、いじめられっ子、飲んでいるコーラがドクターペッパー。サム・ライミはこれでもかと言わんばかりにピーターをナードとして強調している。

 しかも非モテオタクの権化のようなピーターが片想いする相手が、巨乳で幼馴染みのMJというのだから泣けてくる。MJにはオラオラ系の彼氏がいるのも尚更泣ける。MJに挨拶されたと思ったピーターが笑顔になると、実はMJはピーターでなく後ろの友人に目配せしただけだったという場面はどうだ。ため息しか出ない。

 サム・ライミ版「スパイダーマン」はヒーロー誕生物語である前に、童貞少年の成長物語なのだ。クモに咬まれた影響でピーターは視力を回復し、眼鏡をかける必要がなくなる。これは実にわかりやすい「スパイダーマンになって脱ナード化していく」ことの象徴的な表現ではないか。

 『スパイダーマン:ホームカミング』も『アメイジング・スパイダーマン』も、ピーターをここまで極端にナードとして描かなかった。日々ゲームに明け暮れる一人の非モテオタクとしてサム・ライミ版を支持せざるを得ない。

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