芸能界のスキャンダル報道、韓国社会における受け止め方は? SNSの発達による変化が生む軋轢

 K-POPアーティストが日本でもエンターテインメントの1ジャンルとして定着してから10年近くが経とうとしている。そんな中、最近韓国の芸能人のスキャンダルが日本でも報道される機会が続けてあった。そのような時の社会の反応やファンの反応は日本と韓国でかなり異なるケースが見られる。

 近年日本でも1980年代末の民主化運動に関する映画が公開されたり、朴槿恵元大統領弾劾を求める「ろうそく集会」などの報道により、韓国民の社会的な問題に対する団結力の強さは周知されつつある。2016年の江南通り魔事件をきっかけに近年急速に高まっているフェミニズムの盛り上がりなど、社会的なイシューに対する若年層の関心の高さなどはポジティブな側面として捉えられることが多い。韓国語では「私たち」を意味する「ウリ」という主語がよく使われる通り、民族・同郷・同学年生まれなど共同体への帰属意識が強いと言われており、それが先述の団結力に通じる大きな要因の1つでもあるのだろう。

 また、財閥が残っていることとも関連するかもしれないが「甲と乙」「銀のスプーン土のスプーン」という表現がよく使われるように、社会的な格差にも敏感な傾向があるようだ。1990年代に入るまで、軍部による独裁政権下で民主化運動が盛んだった歴史的背景もあり、公権力やマスメディアへの不信感も強いように感じられる。現在の韓国では冤罪の可能性を鑑み、一部事件を除き、犯罪の判決が確定するまでは捜査機関は被疑者・被告人の実名は公表せず、マスコミも実名報道しないことが原則になっている。無罪推定の原則を重く見た法律で、市民の権利意識や人権意識が強くなっていると考えるべきであるが、しかし一方で法律以上に強いと言われているのが、前述の帰属意識に根ざす“市民感情”だ。この“市民感情”が裁判の行方さえも変えてしまうことが珍しくはなく、一度大きく社会問題として注目を集めると、システムが変わる速度が速いなどポジティブに働くこともある。

 しかし、この“市民感情”の向く対象が芸能人になると、少し事情は変わってくる。韓国における一般市民の芸能人への距離感は、日本の感覚からするとかなり近いものに見える。ファンがオッパやオンニ(肉親や親しい年長者、時には年上恋人への呼称)を好きなアイドルに対して使うことは一般的だ。一方で人気の芸能人は“成功者”でもあり社会的には“甲”の立場と言えるが、ファンや社会からの支持が成功の基盤になる職業の特性上、社会から要求される事柄が多く、「芸能人なのだから我慢するべき」とみなされる部分も多いようだ。

 韓国では「ネチズン(ネット市民)」という言葉もある通り、ネット上の雰囲気や意見がそのまま社会の反応としてダイレクトに受け取られやすい傾向も見られる。「ネチズン」からのネット上でのバッシングが原因で芸能人が自殺に追い込まれたり、仕事に影響が出るケースは昔から珍しくなく、「ネットの声」の力が良くも悪くも日本より強い側面がある。犯罪判決が出るまでは捜査機関は被疑者や被告人名前は公表しないという原則も、芸能人の犯罪に関しては実際はほとんど守られていない状況である。今現在調査中の「バーニングサン事件」においても、大手メディアでは匿名ではあっても映像はモザイクなしで流され、ウェブメディアでは実名や写真が公表されている。“公人”とみなされる対象に関しては「疑惑がある」という段階で、まだ確定されていない事項がセンセーショナルに報道されることも決して珍しくはない。

関連記事

インタビュー

もっとみる

Pick Up!

「音楽シーン分析」の最新記事

もっとみる

blueprint book store

もっとみる