綿矢りさ、最新作『パッキパキ北京』インタビュー 現代中国の文化と流行をエネルギッシュに描く

綿矢りさインタビュー

 綿矢りさが現代中国を舞台に執筆した新境地小説『パッキパキ北京』(集英社)。主人公の菖蒲(アヤメ)が夫の単身赴任先の北京を訪れた滞在生活が描かれている。菖蒲は入国後のコロナ隔離を愛犬ペイペイとともに無事に終えて、春節で盛大に盛り上がる大都市・北京へ。観光、ショッピング、食を存分に堪能し、現地の物事を豪快でストレートな視点でぶった切っていく。さらには魯迅の小説から生まれた「精神勝利法」なる思考法に出合って、ある境地にたどり着くことにーー。自身の北京滞在経験をベースに執筆したという綿矢に、本作執筆の裏側について話を聞いた。(篠原諄也) 

ーー今回、中国・北京を舞台にした経緯を教えてください。 

綿矢:中国の文化にはもともと興味があって、中国語も習っていました。だから中国を舞台にした小説には関心があったんですけど、日本にいる時はどういう風に題材として取りあげたらいいのかわからなくて。それが家族の仕事の都合で2022年12月から半年弱ほど北京に滞在することになったので、今の中国を舞台に書いてみようと思いました。 

ーーちょうど現地ではコロナ政策が終わった頃だったそうですね。 

綿矢:入国時はホテルで隔離生活を送ったので、その実体験を元に執筆しました。隔離が終わった直後は街にそんなに人がいませんでした。ホテルも従業員の人も少なくてガラガラでした。それからコロナの政策が終わって、街に人がどんどん戻ってきて。特に春節の時期はこんなに賑やかな場所だったんだと本当に驚きました。中国は日本より厳しくコロナ政策をしていたこともあって、それが終わった後は急速に日常が戻ってきた印象があります。 

ーー現地ではどんな生活でしたか? 

綿矢:毎日のように観光をしていました。これだけ長くいたら、北京の観光地はほぼ行けるだろうと思っていたんですが、北京は東京の7.5倍もの広さがあって全然行き尽くせないんですよ。さらに観光地はバラバラに散らばっていて、その間の移動距離も長くて。1日に1つか2つしか行けなかったですね。 

ーー特にお好きな場所はありましたか? 

綿矢:昔工場だった一帯を芸術村にした「798芸術区」がすごく面白かったですね。工場をリノベーションして、美術館、個展、ショップ、カフェなどにしていました。電車の中にショップが入っているところもあったり。美術館では最新の現代美術が展示されていましたが、作品は頻繁に変わっていました。中国だけでなく、他の国から来た個展も見られて楽しかったです。 

ーー小説は自分自身が現地を歩いているようなわくわく感がありました。ただどちらかというと、そうした文化的なスポットは訪れていませんね。 

綿矢:私は文化・芸術系のスポットが好きなんですけど、菖蒲はあまり好きじゃなくて。彼女が好きなのは、現地の食べ物、万里の長城などのスケールの大きな観光地、そしてショッピングですね。人物造形によって行く場所も変わるんやなと思いました。 

 菖蒲はどんどん移り変わっていくカルチャーが好きなんです。中国は流行が目まぐるしくて、次々に変わっていく。そのエネルギッシュな感じが面白かったので、今回はそこにフォーカスしました。有名な観光地はガイドブックを読めばわかりますが、それだけだと今の中国の感じはなかなか伝わらないんですね。 

ーー現地はネットカルチャーの存在感も大きいでしょうか? 作中でもオンラインショッピングや動画配信の様子が描写されています。 

綿矢:大きかったですね。作中に書かなかったんですけど、年配の人もTikTokをすごく見ていて、自分で動画配信までしているんです。春節の時には、日本の年賀状みたいに、自分で作った動画を送ったりして。電車の中でもおじいちゃん・おばあちゃんがTikTokを見てるから、すごいなと思って。人のスマホを見るもんじゃないですけど(笑)。通販のような動画やきれいな女の人が歩いている動画とか見ているんです。すごく流行っていました。 

ーーそれは日本と全然違いますね。作中で春節の様子が描かれていますが、現地ではいかがでした? 

綿矢:北京の街中が赤色の提灯や切り絵細工の剪紙(せんし)でいっぱいになっていました。外資のファッションブランドも、春節用に干支にちなんだ商品をディスプレイで売り出していたり。兎年だったので、ルイ・ヴィトンはウサギをモチーフにした服を売っていました。1年しか着れないのにみんな買うんやと思って(笑)。あと、公園の湖が凍っていてたくさんの人がスケートをしていましたし、夜はエレクトリカルパレードのような電飾がずっと光っている。夜はすごく寒いんですけど、人出は多かったです。 

ーー現地がかなり寒いことは作中でも触れられていましたね。タイトルの「パッキパキ」も、そこからとっていると。 

綿矢:外がすごく寒くて、部屋の中では半袖でも大丈夫というギャップに慣れなかったです。昼は大丈夫なんですけど、太陽が沈んだ途端に気温がマイナスになって、川は凍るような寒さになる。「パッキパキ」は湖が凍っていて乾燥していたので、そういう気候によるイメージ、そして主人公の元気さの両方からとっています。北京は人も町全体も本当に「パッキパキ」の雰囲気でしたね。 

ーー菖蒲は現地の生活をとことん楽しんで突っ走っている感じがありました。 

綿矢:享楽的ですよね。それで痛い目に合うけど反省しない。このレベルで反省しない人は初めて書きました(笑)。本の感想で「この人の未来は暗い」と断言されることもあって(笑)。やっぱそうなのかな、末路はどうなるんやろうと思います。 

ーー人物造形では、綿矢さんがお好きだという「寅さん」をモチーフにした側面もあるそうですね。 

綿矢:そうですね。寅さんは性格が良くてハートフルで人望もあるので、ちょっと菖蒲とキャラが違うかもしれないんですけど(笑)。寅さんは過去に傷があって、苦労人なんですよね。生みの母の顔も知らずに、父親に育てられています。東京大空襲を経験し、妹を連れて逃げていた。それで戦争が終わってからは父親と大喧嘩をして殴られて、家を出ることになります。父親が亡くなった後に、フーテンになって戻ってきた。 

 でも寅さんは明るいんですよね。周りに「駄目なやつだ」と言われても、反論もしないし、落ち込みもしない。菖蒲も過去にいろいろあったかもしれないけど、今を楽しむことに重点を置いている。寅さんはずっと定職につかずにフーテンでしたが、今回は菖蒲を通して一体人はどこまで遊んで暮らせるのかを試してみたいと思って。中年の女性でフーテンってあまりいないですよね。主婦ではあるんですけど、そういう人が旅するのは面白いなと思いました。 

ーーそんな菖蒲が現地で出合うのが「精神勝利法」なる考え方です。これはどういうものでしょうか? 

綿矢:現実を完全に無視して、精神的にだけ勝利するんですね。でもなかなか難しいですよね。元々は魯迅の小説『阿Q正伝』で書かれています。阿Qはあまり高い能力を持っていなくて、周りから馬鹿にされてきた。でも「精神勝利法」が生まれつき備わっているから、いつも心の中では勝利しているんです。最後は銃殺刑になってしまう、愚かな人生を歩むことになるんですけど。 

 今の時代、精神的には勝っていると心から思える人がどれだけいるのかなと思って。子どもの頃から塾や学校の偏差値で振り分けられてしまう。SNSではきれいな人の写真ばかりがアップされている。自分が社会の中でどれぐらいの位置にいるかを意識してしまう人が多いと思うんです。それが気持ちが脆くなる原因にもなってしまう。そういう意味では「精神勝利法」も捨てたもんじゃないなと思うようになり、今回、菖蒲を通じて伝えていけたらなと思いました。 

ーー菖蒲が「精神勝利法を極めるの」と自分なりに解釈したラストが面白かったです。「シャネルが無くても完全勝利できる女になる」「自分の脳で無から有を生み出す」と、ブランド品を買わないことを決意します。 

綿矢:ブランドや権威に寄りかかるのは簡単なんですよね。ファッションも住む場所も食べるものも何でもそうですけど、自分に関わるものすべてをゴージャスにしていったら、自信がつくということはあると思います。特に中国ではそういう側面があって、見た目が豪華でブランドがすごく好きな人も多い。でもそういうものをとっぱらったときに「自分にすごい自信があったら最強だ」というのが菖蒲が行き着いた考え方でした。ただ一瞬そう思っても、結局ブランドは一生好きそうやなとも感じたんですけど(笑)。 

ーー綿矢さんの今後のご展望について教えてください。中国への関心はいかがでしょうか? 

綿矢:数年前から善悪やモラルをあまり気にしない人を書くのがブームになりつつあるので、もう少し続けていきたいなと思います。そういう人に甘くせずにシビアな世の中も書いていく。別に正しいわけじゃないけど、こういう生き方もあるんだよ、ということを書いていけたらいいなと思いました。 

 この本を出したことで、中国関連の仕事も増えましたし、私自身も中国の文化にまだまだ興味があります。今後もめまぐるしく変わっていく様子を追いかけていけたらと思っています。

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